受け継がれていったキリスト教信仰
長崎県平戸市宝亀町にある宝亀教会は、九十九島を望む丘の上に建つカトリックの教会です。平戸は、戦国時代から江戸初期のオランダ商館が移転するまでの約100年間、明代の中国をはじめ、西洋諸国や東南アジア諸国と活発に貿易を行う国際貿易都市として発展しました。それに伴いキリスト教も平戸に伝来します。最盛期には平戸とその周辺に14の教会が存在し、5千人の信者がいたとされます。キリスト教が禁教の時代を迎えてもなお、キリスト教からの改宗をせず、隠れキリシタンとして信仰を絶やさない人もいました。平戸島の中東部に位置する宝亀町は、キリスト教の盛んな現在の長崎県の外海地域から、江戸時代に移住してきた隠れキリシタンの子孫が多く住む地区でもあります。小高い丘に建つ、宝亀町のランドマーク的な宝亀教会。海の眺めの良い場所に建つ教会は、先祖から信仰を受け継いできた地元のカトリック教徒が、労働奉仕や献金などを行い建設に深く関わりました。今回は、地元のカトリック教徒が自らの手で築き、大切に守ってきた宝亀教会を深く掘り下げていきます。
マタラ神父の来日
豊臣秀吉の治世から長く続いていた禁止令は、明治維新を経て明治政府となった後も、キリスト教の禁教政策を継続します。しかし、海外との交流が活発化していくと、欧米諸国から激しい非難を受けるようになりました。これを重く受け止めた明治政府は日本国内のキリスト教の活動を黙認していくようになります。そんなキリスト教の禁教政策がしだいに弱まっていく時代背景の中、海外のキリスト教の宣教師たちは、日本を訪れるようになります。明治14年に来日したフランス人のジャン・フランソワ・マタラ神父は、大正14年に平戸の紐差教会で亡くなるまでの40年間布教活動を行った宣教師です。パリの神学校で学び、司祭に叙階したマタラ神父は、日本でもカトリック教徒の多い長崎県で活動し、その大半を平戸で過ごしました。マタラ神父は目の病気を患いながらも、平戸の宝亀教会や紐差教会の設計、田平教会の建設に関与するなど、本格的な教会建設に尽力しました。
多くの人々が建設に関わった宝亀教会
明治22年の大日本帝国憲法で信教の自由が認められると、日本国内にレンガ造りの堂々とした教会が建てられるようになります。煉瓦造りの教会建設が相次いで行われていた当時、平戸・黒島教区の主任宣教師であったマタラ神父は、宝亀教会の建設の指揮にあたります。そして五島列島の宇久島の宮大工・柄本庄一が、マタラ神父指導のもと設計、建設に携わります。柄本庄一についてあまり詳しい資料は残っていませんが、宝亀教会のほか、井持浦教会、鯛ノ浦教会、紐差教会など、長崎の多くの教会の建設に関わったとされており、教会建築に造詣が深かった宮大工のようです。地元宝亀町のカトリック教徒は、建築費用として当時のお金で約千円を拠出し、残りの千円以上と言われる不足分はマタラ神父が補いました。建設工事では、地元宝亀町のカトリック教徒だけでなく紐差のカトリック教徒の協力も得て、船で荷卸しした木材や煉瓦、その他資材を建設現場まで運びます。そして白い漆喰の壁を作るために、宝亀町の住民総出で、貝殻を集めて焼き、それを丁寧に塗りました。こうしてマタラ神父の指導のもと、多くの人々が労働奉仕に携わった宝亀教会が明治31年に完成します。
和と洋の良さが引き立つ宝亀教会
平戸市に現存する教会の中で最も古い宝亀教会は、正面から見ると、堂々とした煉瓦建築に見えますが、本体は、日本の風土に根差した風通しの良い木造平屋の建物となっています。基礎は石造り、壁は正面のイギリス積みの煉瓦以外は板張りで、屋根は単層切妻の茅葺きとなっており、裏側から見ると明治の和風建築の様相を見せています。教会堂左右側面には、コロニアル風のテラスが設けられ、内部の側廊部と人間が出入り可能な床面まである両開き窓が5面あります。このようなテラスをもつ教会堂は、たいへん珍しく、たくさんの野外の空気を取り入れることのできる開放的な造りとなっています。窓に張られたステンドグラスから入ってくる神秘的な光が差し込み、コウモリ傘を広げた形のコウモリ天井が広がる教会内部は、美しい祈りの空間となっています。宝亀教会は、規模はそれほど大きくありませんが、教会堂が木造から煉瓦造りへ移行する過渡的な姿を示しており、和と洋が混在した多様な建築技術が施されています。
平戸に土着したキリスト教文化
平戸大橋から車で約20分のところにある宝亀教会は、カトリック教徒の多い宝亀町の狭い生活道路をくねくねとのぼった先にあります。海を望む小高い丘の上にあり、森と畑に囲まれた美しい環境の中にある宝亀教会。キリスト教の禁教が長く続いた時代も、隠れキリシタンとしてその信仰を貫いた宝亀町の集落。和洋折衷の美しい教会をみていると、この地で子々孫々に受け継いできたキリスト教信仰の伝統が、日本と西洋のそれぞれの良さを取り入れた独特の建築様式を具現化したのではないかと感じるところがあります。地元の人々が大切に守ってきた宝亀教会は、建設当時の様相を良好に現在も留めています。みなさんも宝亀教会を訪れてみて、平戸に土着したキリスト教文化を感じてみてはいかがでしょうか。
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