焼き物の町・有田に残る登り窯から出た廃材を使ったリサイクルアート、素朴でアンバランスな外観が心証に響くトンバイ塀

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トンバイ塀

有田の町に残る味わいのあるトンバイ塀

有田に残る味わいの佐賀県有田町にあるトンバイ塀は、歴史ある焼き物の町である有田に多く存在する塀です。トンバイとは、登り窯に使用されるレンガのことをいい、トンバイ塀とはかつて登り窯に使われた大量のレンガの廃材や陶器の破片、窯道具などをうまく再利用して赤土で塗り固められた塀をいいます。焼き物の廃材を使った芸術とでもいうべきトンバイ塀は、焼き物の町らしい景観を演出しています。廃材になったとはいえ、登り窯に長い年月をかけて使用されたレンガや窯道具は、灰や松の油がかかり、そのかかり具合で一つ一つ違う色を持つ味わい深いものになっています。これは人間の陶磁器生産という営みが、もたらした自然美とも言えるのではないでしょうか。また、トンバイ塀に使用される陶器の破片も、不揃いで同じかたちのものはありません。今回は、有田の味わいのあるトンバイ塀について、深く掘り下げていきます。

レンガや窯道具などの廃材を組み合わせた味わいのあるトンバイ塀

 

窯元の技術の流出防止のために作られたトンバイ塀

文禄・慶長の役で日本へ強制連行された朝鮮人陶工の李参平は、鍋島藩の領内で陶磁器に適した土を探しました。唐津焼の窯などを転々としていった後、中国の景徳鎮のような白い磁器の生産に適した良質な土を、有田で発見します。後に有田焼の陶祖となる李参平は、江戸時代初期に当時世界最先端の陶磁器生産を有田で始めました。そしてしだいに陶磁器の生産が盛んになっていき、鍋島藩を代表する一大産業として有田焼が誕生します。1637年になると、焼き物の先端技術の漏洩を恐れた佐賀鍋島藩は、当時の焼き物の産地であった伊万里・有田地区の窯場の整理・統合を行い、窯場を有田の13ヵ所に限定しました。窯場の整理・統合で、鍋島藩の管理が行き届くようになり、先端技術の流出防止に効果が出るようになりました。しかしそれは、お互い切磋琢磨しあうライバル関係の窯元が隣接し合うことにもなり、隣の窯元から技術を盗まれないような対策が必要になりました。そこで登場したのが、情報が漏れないように建設されたトンバイ塀です。有田の各窯元は、有田焼を生産する際に出る廃材をうまく使ってトンバイ塀を作り、自らの陶器生産に関する秘密を守りました。

長年登り窯で使用して、変型した廃材を使ったトンバイ塀

唯一無二で飽きのこない風貌のトンバイ塀

電気窯やガス窯のない時代の有田焼は、ほとんど登り窯で焼かれました。薪を炊きながら、その灰を自然の釉薬として溶け込ませながら磁器を焼きます。登り窯の耐用年数は約十数年と言われており、トンバイ塀は耐用年数を超えて、ぼろぼろになったレンガの廃材を使用しました。レンガの他にも窯道具のハマやトチン、使い物にならなくなった陶器の破片などが使われました。磁器の活発な生産活動により、大量に発生した廃材を有効活用するトンバイ塀は、有田の町じゅうに広がっていきました。登り窯は、松の木などの薪を炊いて焼き物を焼くので、レンガや窯道具に、松の油が飛んだり、灰がかかったりします。そのため、唯一無二の独特な色合いが生まれます。登り窯の廃材を利用したトンバイ塀は、複雑な色合いや、でこぼこした不均等な形をしており、素朴で見ていて飽きのこない風貌を楽しむことができます。

旧田代家西洋館の外観

焼き物の町が歩んだ歴史を貫くように伸びるトンバイ塀

江戸時代の始めに陶祖李参平が有田で磁器の製造を始めると陶磁器産業として有田焼が勃興し、幕末の開国以降は、西洋文化に対応した陶磁器開発を進め、海外への陶磁器輸出が始まります。そして欧州各国から高い評価を受けた有田焼は、日本国内だけでなく海外でも有名になりました。そんな外国へ輸出してきた伝統を持つ有田の町並みは、町の大半を占める純和風の建築物の他に、レンガ造りや洋館もあります。明治の貿易商人田代助作は、有田まで陶磁器を買い付けに来た外国人を宿泊・接待するために明治9年に佐賀県で最も古い洋風建築の旧田代家西洋館を建てました。この旧田代家西洋館から深川製磁のクラシックな工場の脇にある小道を進んでいくと、トンバイ塀のある裏通りが始まります。江戸時代から続く和風建築から、明治・大正・昭和のレトロチックな建物、平成・令和の現代建築が混在する町並みを貫くようにトンバイ塀が続いています。トンバイ塀を歩いていくと、時代の変化に対応していった有田の町並みの歴史を実感できます。

トンバイ塀は、先人が築いた循環型社会のお手本

有田の町の本通りから抜けて裏通りに入ると、カラフルででこぼこな形をしているのだけれども、屋敷内の様子が見えないように歩行者の目線を遮る高さで統一されているトンバイ塀に出くわすことがあります。不均衡と均衡が同時に目に映るこの塀は、とても心証に残る塀でもあります。陶磁器の芸術性と、有田の職人の技術を守るという実用性がアンバランスな形でトンバイ塀を見る人々に訴えかけるのかもしれません。ガス窯・電気窯が普及した現在、薪を燃料にした登り窯が作られることはあまり見かけなくなり、その廃材を使ったトンバイ塀も新しく立てられることがなくなりました。しかし、焼き物の町ならではの風景を演出するトンバイ塀は、現在でも大切に守られており、壊れたら窯元が補修しています。江戸時代に素晴らしい味わいのあるトンバイ塀がリサイクルすることによって立てられていました。循環型社会が叫ばれている昨今ですが、トンバイ塀は先人達が築いた循環型社会のお手本でもあります。みなさんも、有田の町並みにあるトンバイ塀を訪れてみて、その素晴らしさを確認してみてはいかがでしょうか。

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