徳川幕府の江戸大規模開発事業で発展していった将軍家の御殿、高い芸術性と歴史性を持ちその豊かな庭園の景観に心奪われる浜離宮恩賜庭園

スポンサーリンク
庭園

江戸時代に湿地帯を開発して出来た浜離宮恩賜庭園

東京都中央区にある浜離宮恩賜庭園は、江戸時代に徳川将軍家が所有した庭園です。将軍家の庭園だけあって規模も大きく、その景観も保ってきたこともあってビルが林立する東京都心にありながら、豊かな自然を保っています。浜離宮恩賜庭園は、東京湾とそこに流れ込む築地川と汐留川に囲まれ、海水を園内に引き入れています。湿地帯を開発するいわば江戸時代のウォーターフロント事業によって出来た浜離宮恩賜庭園は、水の都江戸を象徴する庭園でもあります。今回は浜離宮恩賜庭園の開発の歴史に触れながら、その魅力に迫っていきます。

浜離宮恩賜庭園の横堀水門

湿地だけでなく海を埋め立てることによって広大な土地を確保

浜離宮があった場所は、もともと葦が生い茂る湿地帯が広がっていました。徳川家康が江戸を本拠地とした安土桃山時代から江戸初期までは、鷹狩りを行うための鷹を訓練する鷹場として利用されていました。その後3代将軍徳川家光の三男で甲府藩主の徳川綱重が、1654年に将軍の許しを得て、甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てます。甲府浜屋敷は将軍のお膝元として栄え、世界有数の人口を抱える巨大都市へと江戸の町が変貌を遂げる時期に建設されました。鷹場と呼ばれる湿地だけでなく、鷹場に隣接する海の埋め立てを行うことによって、甲府浜屋敷は広大な土地の確保を実現しました。

浜離宮恩賜庭園の石垣

6代将軍徳川家宣の時代にグレードアップがはかられた浜御殿

徳川綱重の子である綱豊は、5代将軍徳川綱吉に嫡子がいなかったため、名を徳川家宣と改め6代将軍に就任します。そのような経緯もあって甲府浜屋敷は将軍家の別邸となり、名称を浜御殿に改めました。1707年の大規模改修工事では、河川や海などを利用して堀のようになっており、江戸城の出城としての役割を持たせました。敷地内には海水を引き入れた大池をつくり、茶屋・観音堂・大手門などを設け、浜御殿のグレードアップをはかりました。6代将軍の徳川家宣は、天皇の勅使として江戸を訪れた公家たちを浜御殿で、度々接待しました。茶屋で大池を見ながら和歌を詠んだり、大池で船を浮かべて音楽を聴いたりしたとの記述が残っていますが、京都にはない海水を引き込んだ池は、江戸ならではの楽しみ方ではなかったのではないでしょうか。

潮入りの池と松の御茶屋

サトウキビの種である蔗苗が植えられた浜御殿

8代将軍の徳川吉宗の時代には薬園、製糖所、鍛冶小屋が設置されました。製糖所では当時貴重であった砂糖に携わる取り組みをしました。琉球よりサトウキビの種である蔗苗を取り寄せ、薩摩藩から落合孫左衛門を招聘して、浜御殿に蔗苗を植えさせました。浜御殿で栽培した蔗苗は、全国各地の希望者に分け与えるなど、継続的に栽培が行われました。幕末まで製糖法の研究が行われた浜御殿は、江戸時代の砂糖製造において大きな役割を担いました。その他、薬園では200種を超える薬草が栽培され、徳川吉宗が行った享保の改革を下支えする殖産産業の試験場という側面を、浜御殿は持つようになりました。


浜御殿を頻繁に利用した11代将軍徳川家斉

江戸幕府最長の将軍在任期間54年を誇る11代の徳川家斉は、頻繁に浜御殿を利用します。華やかな宴や鷹狩を浜御殿で催すことによって、幕閣を接遇しました。江戸時代後期の鷹狩は、武芸の鍛練を兼ねていた戦国時代の頃とは違い鴨を捕獲する鴨場を利用した遊びとなっていました。徳川家斉の正室である広大院も魚釣りに訪れており、浜御殿は、将軍家のプライベートな邸宅の性格を強めていきました。徳川家斉の頃にほぼ現在の姿の庭園になったと言われており、江戸幕府の将軍家の歴史を現在に伝えています。

浜離宮恩賜庭園の隅田川に接する堀。江戸時代は海だった。

明治維新以降は皇室が保有し、名称を「浜離宮」に改める

明治維新により江戸幕府が崩壊した後は皇室の所有となり、名称を「浜離宮」に改めました。明治2年には諸外国の要人を接遇する「延遼館」が整備され、浜離宮は様々な行事が催される皇室園遊の地として活用されました。その後関東大震災や太平洋戦争で多くの遺構が損害を受けますが、その大半は再建または復元を果たしており、特に歴代将軍がもてなしや休憩に使った3つの御茶屋は、忠実に復元されています。昭和20年には日本を占領したGHQの要求により、東京都に下賜されました。翌年の昭和21年に都立「浜離宮恩賜庭園」として開園し、有料一般公開が実施されました。昭和27年に芸術性・歴史性ともに価値の高い日本庭園として、特別名勝及び特別史跡として二重指定を受けます。その後「浜離宮恩賜庭園」は、高度経済成長を経て大変貌を遂げた東京の町を横目に見ながら、緑あふれる史跡庭園として歩み、現在に至ります。


変化に富んだ風景を味わえる浜離宮恩賜庭園

近隣の汐留周辺のビル群が借景となり、江戸時代にはなかった風景を創出している浜離宮恩賜庭園。その敷地は25haと広く、天下の徳川将軍家が創設した庭園だけあって全体的に解放感のあるダイナミックな景色が楽しめます。周囲を囲むビル群や高速道路とのコントラストは見ものですが、東京都心にありながら、豊かな自然と落ち着いた雰囲気を味わうことのできる貴重な場所でもあります。浜離宮恩賜庭園は池や森、広場などが凝縮されており、園内に張り巡らされた通路を使って変化に富んだ風景を感じ取ることができます。浜離宮恩賜庭園の敷地の大きな割合を占める潮入りの池は、潮の満ち引きによって池の趣を変え訪れる人を感動させます。落ち葉を踏みしめながら歩く森の小路もあれば景観が開けた明るい広場もあり、大都会の真ん中とは思えない絶妙なバランスを保った自然美が存在しています。皆さんも浜離宮恩賜庭園を訪れてみて、その懐の深さを感じてみてはいかがでしょうか。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました