約2000年の歴史があるといわれる阿蘇神社
熊本県阿蘇市の阿蘇神社は、阿蘇を開拓した健磐龍命を主祭神とし、その家族である12神を祀っている神社です。阿蘇神社は常磐龍命の子である速瓶玉命が、両親を祀ったのが始まりとされています。その後速瓶玉命の子孫である阿蘇氏が、歴代の宮司となり阿蘇神社を守り続けました。阿蘇氏は、室町時代末期まで地方豪族として勢力を誇った時代があり、このことが阿蘇神社の信仰を拡大することにつながりました。今回は約2000年の歴史があるといわれる阿蘇神社の歩みを振り返りながら、その魅力に迫っていきます。
速瓶玉命が父の健磐龍命を祀ったことから始まる阿蘇神社の歴史
阿蘇神社は、昔から「肥後一の宮」と呼ばれ、豊前の「宇佐神宮」、筑前の「宗像大社」とともに九州を代表する神社です。御祭神の健磐龍命は阿蘇開拓の神であり、後に阿蘇山の火山神としての性格を備えた神でもあります。阿蘇神社の創建は初代阿蘇国造となった速瓶玉命が、父の健磐龍命と母の阿蘇都姫命を祀ったことが始まりとされています。速瓶玉命は父の阿蘇開拓事業を引き継ぎ、田に水を引いたり、牛馬の育成することに努め、阿蘇に農業をもたらしたと伝えられています。967年の「延喜式」の神名帳には、健磐龍命神社と阿蘇都姫神社、そして速瓶玉命が祀られた国造神社があげられており、この3社は朝廷の尊崇を受けるにあたる縁起と格式を認められていたことを示しています。
武士の世に武家の棟梁として、その勢力を伸長した阿蘇氏
速瓶玉命の子孫は阿蘇氏を名乗り、阿蘇神社の宮司を世襲しました。そして平安時代中期には領主的な存在として阿蘇一帯を支配するようになります。やがて貴族に代わって武士が勢力を持つようになると、阿蘇神社の大宮司である阿蘇氏は、武士団の棟梁という性格を帯びるようになりました。武士化して肥後国を代表する豪族に成長した阿蘇氏は、小国、矢部に加えて肥後平野にまでその勢力を伸ばし、勢力下にあった甲佐神社、健軍神社、郡浦神社を阿蘇神社の末社に組み込みました。現在、阿蘇神社の分社が500社にも及ぶのは、阿蘇氏が武家勢力として伸長した歴史が、その背景にあります。
約450年続いた阿蘇氏の武家大宮司時代
鎌倉時代の阿蘇氏は、執権の北条氏との関係を深めて栄華を誇りました。南北朝時代になると、一族が南朝、北朝に別れて内紛の危機に立たされますが、室町時代にこれを統一して阿蘇氏の命脈を保ちました。武家大宮司として阿蘇氏はその勢力を誇りましたが、下克上の戦国時代に入るとその力を維持することが難しくなっていきました。新しく勢力を伸ばしてきた大友氏が阿蘇氏の領地を侵し始め、阿蘇氏は弱体化していきます。1585年には島津氏の侵攻を受け、領地を奪われます。その後豊臣秀吉の保護を求め、かろうじて命脈を保ちます。しかし1593年に起きた梅北一揆では豊臣秀吉から嫌疑をかけられます。そして豊臣秀吉は嫡流であったわずか12歳の阿蘇惟光に、切腹を命じました。阿蘇惟光が切腹したことで、約450年続いた武家大宮司の時代が終わりました。
神代から続く長い歴史を誇る阿蘇氏
幼くして命を散らした阿蘇惟光の弟に、阿蘇惟善がいました。阿蘇を領有していた大名の加藤清正は、阿蘇氏嫡流である阿蘇惟善を庇護し、阿蘇氏の再興に尽力します。1601年には徳川氏の許しを得て、阿蘇神社大宮司として阿蘇惟善を宮地の地に移し、現在の阿蘇神社の地に居を定めました。加藤氏、その後に阿蘇を領有した細川氏によって、社領の寄進、社殿の造営、補修が行われ、阿蘇神社はかつての神社としての地位を取り戻しました。祭祀家として現在も存続している阿蘇氏は、出雲大社の千家氏・北島氏と同じく神代から続く長い歴史を誇る家柄で、現在の宮司である阿蘇惟之氏は91代目にあたります。2000年近い歴史を有するといわれている阿蘇神社ですが、現在の社殿は細川氏の統治時代に建てられたものが大半であるため、江戸時代末期の建築的特徴がよく現れた文化財となっています。
神々を身近に感じる阿蘇神社
阿蘇信仰は、神霊池と呼ばれる噴火口への火山信仰と地域神である阿蘇都彦・阿蘇都媛の信仰が合体し、神武天皇の孫にあたる健磐龍命の出現によって完成したと考えられてきました。阿蘇中岳の火口と国造神社を結ぶ直線の中間に阿蘇神社が位置し、その参道は国造神社の方面から阿蘇山に向かって伸びており、社殿に対して正面にならない横参道となっています。阿蘇神社は阿蘇信仰の原形を崇敬できる設計をしており、神々を身近に感じることのできる場所でもあります。平成28年の熊本地震で社殿や楼門などが倒壊する被害を受けましたが、復旧工事でその大半が再建され、往時の姿を取り戻しています。
長い歴史を経て文化が蓄積している阿蘇神社
阿蘇神社は年間を通して米作りに関わる神事が行われ、それらの神事は「阿蘇の農耕祭事」として国の重要無形文化財に指定されています。その中の「御田祭」は、阿蘇神社に祀られている12の神々が、4基の御輿に乗って行列を構成し、田歌が謡われながら、稲の育成具合を見てまわります。お供として行列に加わる宇奈利と呼ばれる全身白装束の女性が、初夏の青々とした田園の中を歩く姿はとても美しいものがあります。また阿蘇神社などに伝来する中世期の古文書群も国の重要文化財に指定され、武家の棟梁として活躍した阿蘇氏の歩みを伝えています。阿蘇神社には、長い歴史を経て蓄えていった文化があります。皆さんも阿蘇神社を訪れてみてはいかがでしょうか。
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