景行天皇が創建され荒ぶる神が鎮まったとされる由緒のある神社、神埼発祥の地であり神埼の歴史文化を継承し多くの人々の崇敬を集めてきた櫛田宮

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佐賀県
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景行天皇が創建したといわれる由緒がある櫛田宮

佐賀県神埼市にある櫛田宮は、景行天皇が創建したという由緒と、2000年近い歴史をがあるといわれる日本有数の古社です。博多祇園山笠でも有名な博多の総鎮守櫛田神社の元宮でもあり、鎌倉時代の元寇の折には、異賊退散を祈って戦場となった博多の櫛田神社へ神剣を送っています。天皇家ゆかりの由緒と長い歴史を持つ櫛田宮は、神埼地域の中心的存在として影響を与え、多くの人々から崇敬を集めました。今回は櫛田宮の歴史に触れながらその魅力に迫っていきます。

櫛田宮境内にある神埼発祥の地の石碑

「神埼」の地名の起こりとなった櫛田宮

櫛田宮は、櫛稲田姫命、須佐之男命、日本武命の櫛田三神を祀っています。景行天皇は若くして亡くなった実子の日本武命を偲び、各地を巡行しました。社伝によるとかつてこの地は、荒ぶる神がいて往来する人が殺されていました。そして土地が荒廃し、人々が苦しんでいたとのことです。この地を巡行した景行天皇はこの状況を憂い、荒ぶる神を鎮めるために櫛田宮を創建しました。肥前國風土記によると、櫛田宮の創建以降、災厄がなくなったと記されています。こうしてこの地は、神の幸を受ける地ということから「神幸(かむさき)」という地名になり、現在の「神埼(かんざき)」の地名の起こりとなりました。

櫛田宮の神門

「神埼御荘」の総鎮守として隆盛を誇った櫛田宮

今上天皇として御在位遊ばせる浩宮様は、学習院大学在学中の昭和55年に、中世史研究のために、櫛田宮に御来宮されています。その時にご覧になった櫛田宮の古文書は、平安時代末期の大治元年のものをはじめとする数十通で、代々社家に伝えられた貴重なものです。平安時代は神埼郡のほとんどと隣の三養基郡の一部は、皇室が所有する「神埼御荘」と呼ばれる荘園でした。櫛田宮は、この「神埼御荘」の総鎮守であり、多くの末社を抱えた壮大な規模の神社でした。

櫛田宮の一の鳥居

武家勢力の台頭で、衰退する櫛田宮

平安時代に「九州の大社」と称されていた櫛田宮でしたが、武家勢力が台頭する時代になると、その勢いはしだいに衰退していきました。鎌倉時代の元寇の折には、戦場となった博多の櫛田神社へ神剣を移して異賊退散を祈りました。櫛田宮などの寺社の祈願の甲斐もあって、鎌倉幕府は元を撃退しました。しかし元寇で敵の領地を切り取ることができなかった鎌倉幕府は、戦功のあった武士への論功行賞が困難になります。そこで幕府は櫛田宮の広大な神領に目を付け、戦功のあった武士に分配するために領地を取り上げました。皇室のゆかりがある由緒と歴史を兼ね備えた櫛田宮でしたが、政治権力と武力という実力を兼ね備えた武士の前には抗う術もなく、衰退の道をたどらざるを得ませんでした。

櫛田宮境内にある琴の楠

為政者からの保護を受ける櫛田宮

武力を持つ武家によって、次第に社領が奪われていった櫛田宮でしたが、室町時代には、足利尊氏の子で一時期九州で勢力を誇った足利直冬から安堵状を交付されました。これは神埼荘内での神社の支配を許すもので、室町幕府が櫛田宮の保護に乗り出すものでした。為政者からの保護で一定の勢力を保持することができた櫛田宮は、江戸時代になると佐賀鍋島藩の保護を受けるようになります。社領41石2斗が寄進されたほか、祭祀料、修繕費などが支給され、歴史ある櫛田宮の文化を受け継いでいくことが可能になりました。

櫛田宮の肥前鳥居

旧長崎街道の宿場町として賑わった神埼宿

江戸時代になると、国際貿易港であった長崎と各地を結ぶ旧長崎街道の往来が盛んになり、櫛田宮のあった神埼はその宿場町として賑わいました。旧長崎街道神埼宿のほぼ真ん中に位置していた櫛田宮は、近くに佐賀藩の迎賓館とも言える御茶屋、外国人使節団が泊まった眞光寺、浄光寺などの脇本陣などがあり、そのほかにも法度や掟書などを民衆に対して掲示した高札場、馬や飛脚などを用立てた問屋場なども設置されました。江戸時代の櫛田宮は神埼地域の中心的存在として発展しました。

神埼素麺碑

歴史を感じる櫛田宮の境内

櫛田宮の入口には石を組み立てた独特の形をした肥前鳥居があります。慶長7年(1602年)の造立銘があり、佐賀県の指定重要文化財となっています。その他にも境内には景行天皇が埋めた琴から芽が出て楠になったといわれる「琴の楠」があります。清浄な人が息を止めたまま楠を7回半まわると琴の音色が聞こえるという優雅な言い伝えが残る楠でもあります。また櫛田宮の敷地内には神埼素麺碑があります。江戸時代の初期に素麺づくりのさかんな小豆島より諸国行脚をしていた僧が、長崎街道の神埼宿で病に倒れました。地元の人々は僧を手厚く看病し、回復した僧はそのお礼に手延べそうめんの秘伝を伝授したのが始まりとされています。素麺づくりはその後受け継がれていき、神崎の代表的な特産品となっています。


文化の継承が行われてきた櫛田宮

荒廃した土地に景行天皇が神社を創建した結果、神の幸をうける土地に再生し、「神埼」発祥の地となった櫛田宮。景行天皇の御代は、弥生時代後期にあたり、櫛田宮から北東に約2㎞離れた場所に位置する吉野ヶ里遺跡が隆盛だった頃と一致します。このことから創建当時の櫛田宮一帯は、先進的な開発がなされた土地だったのではないかと推察できます。以降約2000年の歴史を経て文化の継承が行われてきた櫛田宮は、貴重な歴史的遺産であると言えると思います。現在「おくしださん」として多くの人々に親しまれている櫛田宮は、神埼の鎮守、農業神、厄除神として崇敬されています。過去、現在、そして未来へと続く文化の息吹を感じる櫛田宮に、皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか。

 

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