江戸時代の島原半島で独自の文化が花開いた鍋島藩神代領、時代の変遷を経て積み重ねた歴史の良さを現代の我々に伝える神代小路と鍋島邸住宅

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庭園

 

往時の神代鍋島氏を偲ぶ神代小路の旧鍋島邸住宅

長崎県雲仙市にある旧鍋島邸住宅は、神代小路の鍋島陣屋跡に、昭和5年に建てられた近代和風建築の主屋を中心として構成する邸宅です。旧鍋島邸住宅は、主屋と江戸時代後期の隠居棟、長屋門、石塀、明治時代中期御座敷からなる屋敷構えをしており、回遊式の枯山水庭園を備えたとても豪華な邸宅となっています。神代小路は、江戸時代にこの地を領有した神代鍋島氏の館とその家臣の居所で形成された武家屋敷群です。神代小路を歩くと、清らかな水が流れる水路やよく手入れされた生垣、趣のある家々などが散財しており、往時の神代鍋島氏の様子を偲ぶことができます。今回は神代小路の中心的存在である旧鍋島邸住宅を深掘りし、その魅力に迫っていきます。

江戸時代当時の様子を偲ばせる神代小路

江戸時代に独自の文化を生み出した神代地区

神代の地は中世まで神代氏の領地でしたが、戦国時代に入ると肥前国で勢いよく伸長していった龍造寺氏の支配下に入ります。その後龍造寺氏の当主であった龍造寺隆信が島原の沖田畷合戦で討死すると、龍造寺側にいた神代氏は有馬氏の侵攻を受け滅亡してしまいました。そのため神代は一時は有馬氏の領地となっていましたが、後に天下人となった豊臣秀吉の国割により、旧神代領は鍋島氏のものとなりました。これは有馬氏をけん制する秀吉の狙いがあったのではないかとされています。江戸時代の島原半島の領地は、島原藩がその大半を領有していましたが、神代地区は江戸時代を通して鍋島氏の領地であり続け、独自の文化を生み出しました。

落ち着いた感じのする旧鍋島邸住宅の座敷

神代領内の発展に大きく貢献した4代当主鍋島嵩就

1608年、鍋島氏の領地となっていた神代の地に、藩祖鍋島直茂の実兄にあたる鍋島信房の所領となります。これにより鍋島藩神代領が成立し、明治維新まで神代鍋島氏が、東西神代村などの4ヶ村約5千5百石を領有しました。その後4代当主の鍋島嵩就は、佐賀から神代に本拠を移しました。鍋島嵩就は神代小路が整備し、当主の館である鍋島陣屋と臣下の居所からなる武家屋敷群が形成されました。神代を本拠とする基礎を築き、領内の発展に大きく貢献した鍋島嵩就は、治世に優れた当主だったそうで、現在でも法名にちなんで「一雲さん」と呼ばれ親しまれています。

邸宅と庭園

軍事的緊張が絶え間なくあった江戸時代の神代

鍋島藩の飛び地であった神代は、周囲を敵に囲まれているような状態でした。そのため神代小路は、敵を発見しやすい有明海を望む台地の上に築かれました。武家屋敷の多くは、入り口の生け垣がかぎ型になっており、敵が容易に侵攻できない構造になっています。また軍事的配慮からあえて見通しのきかない曲がり角を小路内の道に設けました。現在は長閑で、のんびりとした雰囲気がする神代小路ですが、江戸時代の当時は軍事的緊張が絶え間ない武士の町でした。そんな武家時代の香りが漂う道を進んでいくと、鍋島陣屋跡に建てられた旧鍋島邸住宅があります。

長屋門と石塀

江戸時代の情緒を感じる長屋門と、昭和時代初期の流行を感じる主屋

正面入口は、約30mの石塀と、江戸時代末期に建築された長屋門があり、訪れる人々を往時の情緒に誘います。長屋門は2階建ての建物で、切妻造り、外壁は漆喰壁となっています。中央部に門口を開き、両側に部屋を設ける長大な構造であり、門番や使用人の住居として使用されました。江戸時代の香りが残る長屋門の奥には鍋島陣屋跡に建てられた主屋があります。主屋は、中庭を囲んで建つ玄関部と客間部、居間部、家政部で構成され、外壁は黒漆喰塗りの重厚な雰囲気のする邸宅です。玄関部は寄棟造りで南面の中央に唐破風造りの車寄せを付け、天井を格天井、床をタイル張りとし、昭和初期の頃の流行を取り入れた大邸宅となっています。

昭和時代初期を感じる旧鍋島邸住宅の廊下

明治維新後も鍋島氏が所有した鍋島陣屋

神代の旧鍋島邸住宅は、昭和5年に建てられた主屋を中心に江戸時代後期の隠居棟、江戸時代末期の長屋門、明治時代中期の御座敷、明治時代後期の土蔵が建っており、屋敷構えを構成しています。各建物は、和室を基本としながらも要所に座敷飾りを備え、天井や板欄間など各部の造作も意匠を施した見応えのあるものとなっています。江戸時代に神代鍋島氏の館であった鍋島陣屋は、明治維新後も引き続き華族となった鍋島氏の所有するものとなり、その家格を内外に示すものとなりました。平成16年には東京在住の鍋島家の当主から当時の国見町が敷地を購入し、建物を無償で譲り受けました。その後7町合併で成立した雲仙市が引き継いで所有管理し、平成26年から建物の内部も一般公開されるようになりました。

周囲の自然とうまく溶け込む神代小路と旧鍋島邸住宅

歴史の重みを感じる屋敷構えの旧鍋島邸住宅。その中庭にある庭園は、江戸時代よりあった池泉式庭園を大正時代に改修した回遊式の枯山水庭園です。庭園には寒緋桜の大木があり2月になると、濃いピンクの花びらが開き、春の訪れを告げます。その他にも水仙や椿、桜、藤など四季折々の花が咲き、訪れる人々の気持ちを和ませます。また高台の上からは、旧鍋島邸住宅の豪華な武家屋敷の構えのみならず、晴れた日には雲仙普賢岳を望むことができます。神代小路は明治時代から現代に至るまで、大規模な再開発が行われていないため、100年以上前のものがそのまま残っていて、周囲の自然とうまく溶け込んでいます。皆さんも神代小路の旧鍋島邸住宅を訪れてみて、その良さを発見してみてはいかがでしょうか。

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