北政所が創建した豊臣秀吉の菩提寺、歴史に君臨する豊臣政権の豪華絢爛さと北政所の豊臣秀吉への愛情が随所に感じられる高台寺

スポンサーリンク
京都市

 

安土桃山時代の芸術美が溢れる豊臣秀吉の菩提寺、高台寺

京都府京都市にある高台寺は、1606年に豊臣秀吉の正室であった北政所が、豊臣秀吉の菩提を弔うために建立した臨済宗建仁寺派の寺院です。高台寺という名称は、北政所が出家後に名乗っていた「高台院湖月尼」にちなんで名付けられました。現存する開山堂、霊屋(おたまや)、茶室の傘亭と時雨亭、表門、観月台は創建当時からのもので、安土桃山時代の工芸技術の粋を集めた作品は、訪れる人の目を惹き付けます。今回は晩年の北政所に焦点を当てながら、境内に芸術美が溢れる高台寺の魅力に迫っていきます。

高台寺から見る八坂の塔

豊臣秀吉の立身出世を支えた北政所

高台寺を建立した北政所は、豊臣秀吉の若い頃から立身出世を正室の立場から支え続けてきました。また加藤清正や福島正則など豊臣家子飼いの武将を幼い頃から可愛がりお世話してきたことから子飼いの武将からは「母」として慕われていました。

高台寺の臥龍廊

 

北政所に接近する徳川家康

秀吉死後の豊臣家は北政所を中心とする尾張派と淀君を中心とする近江派があり、豊臣恩顧の大名もそれに付き従うような構図になっていました。豊臣秀吉を亡くした豊臣家に、もはや天下を治めることができないと考えた北政所はしだいに五大老の筆頭である徳川家康に接近します。

高台寺の竹林

徳川家康と豊臣恩顧の大名たちが高台寺の建設に積極的に動く

北政所と徳川家康の関係が進展する中、北政所は「京都に寺を建てて隠棲し、秀吉の菩提を弔いたい」と徳川家康に言います。徳川家康は北政所の望みを聞き入れ、寺院建設へ動きます。また、北政所に恩義を感じる豊臣恩顧の大名たちも積極的に財政援助を行いました。

 

豊臣政権の豪華絢爛な建築物を今に伝える高台寺

創建当初の高台寺は、豊臣政権が天下の政務を行っていた伏見城から方丈、茶室、化粧御殿などが移築され、壮麗を極めた寺院だったと伝えられています。その後、高台寺は幾多の火災に見舞われ壮大な伽藍の大半が焼失してしまいましたが、現存する建物や庭園と再建された建物が、当時の絢爛豪華な高台寺の様子を今に伝えます。

 

いくつかの趣深い茶室がある高台寺

高台寺は、茶の湯が開花した安土桃山文化を代表する寺院だけあって傘亭・時雨亭・遺芳庵という趣深い茶室がいくつかあります。傘亭・時雨亭は、創建当時に伏見城から、遺芳庵は、江戸時代の京都の豪商灰屋紹益が建てて、明治時代に移築された茶室です。

高台寺の傘亭

それぞれにある趣が素晴らしい傘亭と時雨亭

傘亭は内部の屋根が傘を開いた形状に似ていることにその名が由来しています。傘亭は茅葺きの平屋建て宝形造りで、わびさびを感じる草庵の風情があります。時雨亭は茅葺き総二階建ての入母屋造りで、土間廊下は吹き放しとなっています。土間から木の階段でこの茶室の主要部となっている二階へ上がるユニークな構造となっています。

遺芳庵

必要最小限に切り詰めた小規模な茶室の遺芳庵

遺芳庵は茶の点前に必要な台目の道具畳と、客が座るのに必要な一畳だけまでに切り詰めた一畳台目といわれる小規模な茶室です。炉は逆勝手向切りになっており、吉野窓と称する壁一杯に開けられた丸窓が特徴的です。

高台寺で開催される8つの特別茶会

このような趣深い茶室をいくつか持っている高台寺では、1年間にわたり遺芳庵朝茶席、七夕茶会、浴衣の茶会、観月茶会、北政所茶会、鬼瓦席鬼楽茶事、夜咄茶会、新緑茶会と8つの特別茶会が開催されています。

三江紹益禅師と北政所の兄・木下家定が祀られている開山堂

開山堂には、高台寺の住持であった三江紹益禅師が祀られ、三江紹益禅師とともに北政所の兄である木下家定の像が安置されています。天井には豊臣秀吉が使った御船と北政所が乗っていた御所車の材料が用いられており、二人が現在でも一緒にいるかのように感じられます。この開山堂は北政所が思い描いていたプライベート空間なのかもしれません。

開山堂と庭園

華やかな雰囲気のある庭園

高台寺には、国の史跡・名勝に指定された美しい庭園があります。開山堂を中心に東の臥龍池、西の偃月池を配置した池泉回遊式庭園となっており、安土・桃山時代に活躍した名作庭家の小堀遠州が手掛けた庭です。豊臣秀吉の好みを反映して造られた華やかな雰囲気のある庭園は、大火という災難にも耐え、約400年前とほぼ同じ姿を今に伝えています。開山堂と北書院を結ぶ回廊を楼船廊、回廊の中間にある建物を観月台といい、伏見城から移築されたと伝えられています。

 

北政所の遺骸が埋葬されている霊屋

開山堂と霊屋を結ぶ臥龍廊は高低差があり、龍が伏せたように見える美しい廊下です。臥龍廊と臥龍池周辺の庭園を味わいながら歩いていくと、霊屋にたどり着きます。霊屋は、伏見城にあった建物を移築したお堂です。豊臣秀吉の守り本尊といわれている大髄求菩薩を中心に右に豊臣秀吉の坐像、左に北政所の木造を安置しています。北政所の木造の下には、北政所の遺骸が埋葬されており、厨子の扉には秋草や松竹など、須弥壇には楽器などの蒔絵が施されています。霊屋に伝わる北政所の調度品にも同じ様式の蒔絵が施され、これらを「高台寺蒔絵」と呼んでいます。

枯山水の波心庭が美しい方丈

高台寺の本堂にあたる方丈は、伏見城から移築されたと言われており、釈迦如来坐像が安置されています。江戸時代中期の大火で焼失しましたが、大正元年に再建されました。方丈の前にある波心庭は、砂盛が美しい枯山水の庭園です。庭にある枝垂れ桜や勅使門が美しく開山堂周辺の庭とは違った趣を楽しむことができます。波心庭では春や秋にはプロジェクションマッピングが行われ普段とは違った情景が訪れる人を魅了します。

豊臣秀吉を弔う気持ちが随所に見える高台寺

高台寺は竹林が有名なお寺で、傘亭・時雨亭の南側には竹林が広がっています。参拝経路の終盤にあたる竹林の中の道を通ると、京都の市中から隔絶された静かな空間があり、心落ち着く美しい竹林が目の前に広がります。高台寺は京都市内の竹林のある雰囲気の良い場所に建てられました。高台寺の境内を歩くと、北政所が豊臣秀吉の菩提を弔う気持ちが現れている場所が随所にあり、北政所の心の世界を少し見ることができたような気にさせられます。皆さんも高台寺を訪れてみて、このお寺に素晴らしさに触れてみては、いかがでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました