長州藩家老の福原氏の菩提寺、奈良時代からの伝統ある普済寺を再建し「松江山」を継承した禅宗の深さを感じる庭園をもつ宗隣寺

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夜泊石

 

学術的に価値の高い庭園をもつ宗隣寺

山口県宇部市の宗隣寺は、奈良時代に創建され、戦国時代の戦乱で荒廃した普済寺を、江戸時代に長州藩家老の福原氏が菩提寺として再建した寺です。宗隣寺の境内には山口県最古の庭園といわれる池泉庭園があります。長い歴史を経て荒廃していましたが、昭和43年に復元工事が行われ、学術的価値の高い貴重な庭がよみがえりました。宗隣寺は宇部市の町外れにある小さなお寺ですが、まわりの自然と一体化した素晴らしい景観が広がっています。今回は前身の普済寺や長州藩の重臣福原氏の歴史に触れながら、昭和58年に国指定名勝を受けた庭園をもつ宗隣寺の魅力に迫っていきます。

宗隣寺本堂

「松江山」の山号を有する観音信仰の聖地

奈良時代の777年、唐から来た為光和尚によって「松江山普済寺」が創建されました。為光和尚は、故郷に似た景観を選ぶとともに、山のふところの湧泉に霊感を受けてこの地に寺を開きます。山号に称せられている松江とは、太湖の支流にある湖のことであり、古来中国では観音菩薩の聖地として、多くの人々から信仰されていました。江戸時代に福原氏によってこの地に再興した宗隣寺の本尊は阿弥陀如来ですが、観音堂には如意輪観世音菩薩が祀られています。宗隣寺は、中国地方5県の名刹古刹からなる「中国観音霊場」をはじめ「百八観音霊場」「山陽花の霊場」の札所寺院であり、奈良時代に創建された「松江山普済寺」からの歴史がある観音信仰の聖地でもあります。

夜泊石と干潟様が味わい深い池

干潟様式の手法がとられた貴重な庭園「龍心庭」

現在、国指定名勝となっている宗隣寺境内の庭園「龍心庭」は、本堂の北側にある山畔を利用し、南北に2つの池泉を並べた築山泉水庭です。2つの池泉を並べる地割が、京都の南禅寺庭園や知恩院の寺と共通することから、宗隣寺の前身の普済寺であった頃の南北朝時代に、築造されたと考えられます。須弥山式禅宗庭園と呼ばれ、昭和43年に行われた復元作業では夜泊石と干潟様の意匠が発見されています。池の中にある8個の夜泊石は、蓬莱島へ向かう、あるいは帰船した宝船が停泊している様子を表しています。また瓢箪の形をした池には、水かさが減ると現れる浅瀬があり、潮の満ち引きを表現した干潟様式の手法が用いられています。この様式は全国的にみても、岩手県平泉町にある毛越寺と宗隣寺にしか現存していません。龍心庭は、鎌倉・南北朝時代の貴重な遺構となっています。

宗隣寺の山門

江戸時代に福原氏が再興した宗隣寺

戦国時代になると戦乱で、寺は荒廃してしまいます。その後、世の中が落ち着きを取り戻す江戸時代を迎え、宇部は長州藩家老の福原氏の領地となります。4代将軍徳川家綱の時代であった1670年に福原氏15代当主広俊は、荒廃した普済寺を再興し、福原氏の菩提寺にしました。そして福原広俊の亡くなった父、福原俊公の法名「宝嶺宗隣居士」にちなみ「松江山宗隣寺」としました。福原氏は戦国時代に中国地方を制した毛利元就の母方の家であり、毛利氏を代々に渡って支えた重臣でもありました。福原氏は、関ケ原の戦いで敗れた後も、毛利氏の重臣として、幕府との交渉に尽力しました。そして石高が減らされ、萩の地に移った後も長州藩の運営に心血を注ぎました。時代が進んで江戸時代中期の1736年に行った宗隣寺の境内の工事では、1030年に鋳造されたとされる朝鮮鐘が発見されました。現在は、重要文化財として大阪の鶴満寺に保存されています。

本堂の廊下から見る坪庭

無念の切腹を遂げた福原越後を慰霊する宗隣寺

江戸の初期から幕末まで、宇部の領地1万石余りを福原氏が治めました。福原氏は鵜ノ島開作や常盤池の築堤、真締川の付け替えなどを行い、宇部の発展の礎を築きました。また福原氏は、益田氏とともに毛利一族に次ぐ「永代家老」の家柄であり、長州藩の中心的な役割を担いました。幕末の禁門の変で長州藩が朝敵となった時は、当時の家老であった福原越後がその責を負って切腹しました。福原越後の切腹が、窮地に立たされた長州藩を救うことになるのですが、その無念さはいかばかりかと感じます。岩国の龍護寺で切腹した福原越後の亡骸は、広島の国泰寺で首実験を行ったのですが、その時に使用した駕籠が宗隣寺の本堂にあります。そして福原越後の墓所は宗隣寺の築山泉水庭にあり、毎年11月の第2日曜日に一般公開されています。宗隣寺は、長州藩のために自らを犠牲にした福原越後を慰霊する寺院でもあります。

 

「物言わぬ説法」と味わえる宗隣寺の龍心庭

臨済宗東福寺派の寺院である宗隣寺の龍心庭は、裏山を背景に池泉や石、樹木、草木がのびやかに配されています。池畔に荒砂利を敷いて水位の違いで干潟に見せ、四季折々に異なる表情になる庭には深い味わいを感じます。禅寺の庭は「物言わぬ説法」ともいわれています。縁側に座り、この「物言わぬ説法」を聴いてみるのもいいでしょう。また、座禅を組むような気持ちで趣深い庭を眺めて見るのもいいでしょう。奈良時代からの由緒があり、寺院の盛衰を経て、現在の我々に見せる庭園の景色は、言葉には出来ないものがあります。奈良時代に創建去れて以来、受け継がれてきた山号「松江山」が示すように観音菩薩の聖地を表しているのかもしれません。皆さんも、宗隣寺を訪れてみて、何かを感じとってみてはいかかでしょうか。

龍心庭にある茶室

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