飯田高原の開発の歴史が生み出した手軽に自然に親しむ観光拠点、九重連山への登山基地や阿蘇くじゅう国立公園の美しい自然に恵まれた長者原

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タデ原湿原

 

さまざまなポテンシャルを生かしながら発展した長者原

大分県九重町にある長者原は、阿蘇くじゅう国立公園の飯田高原に位置します。標高約1000mある長者原には、九重連山の登山口やタデ原湿原、長者原温泉などがあり、豊かな自然を求める多くの登山者や観光客で賑わいます。長者原は、豊かな自然や観光ルート、登山道など、持っているさまざまなポテンシャルを生かしながら発展してきました。今回は長者原が発展した歴史を振り返りながら、その魅力について迫っていきます。

ススキとヒゴタイの共演

開発が進む飯田高原

長者原のある飯田高原は、幕末の頃から農民の入植が増え、農業用地としての開発が進みました。明治時代には牧畜などの冷涼な気候を生かした農業が広がり、近代的な農業が展開されていきます。明治29年に大阪の広海氏が九重硫黄鉱業所を開設すると、人々の往来も増えていき、多くの人々から九重連山や飯田高原の自然の美しさに注目が集まるようになりました。登山客が増えると、九重登山口にある冷泉と温泉が湧き出る寒の地獄温泉にも訪れる人が増え、登山客のみならず、湯治客にも利用されるようになりました。こうして九重登山口付近は、明治時代後期から観光地としての開発も進んで行くようになります。

長者原は、筑後川の源流の一つになっている

「長者原」を名付けた油屋熊八

大正14年に、別府の観光開発に尽力した実業家油屋熊八が、観光地として発展している九重登山口付近を、この地に伝わる朝日長者伝説にちなんで、「長者原」と命名しました。油屋熊八は、昭和2年に現在の九州横断道路(やまなみハイウェイ)の建設を提唱し、別府を拠点に湯布院や九重連山へと続く避暑地の開拓を目指していました。日中、太平洋戦争の影響もあって、やまなみハイウェイの完成は戦後となってしまいましたが、油屋熊八は自らが命名した「長者原」を観光の拠点として発展させた功労者でもあります。

三俣山とタデ原湿原

「やまなみハイウェイ」の開通がさらなる発展を促す

日本が高度経済成長していた昭和39年に、大分県由布市水分峠から長者原や瀬の本高原を通り、熊本県阿蘇市一の宮を結ぶ区間のやまなみハイウェイが開通します。この区間は約50kmにもおよぶ有料別府阿蘇道路として供用が開始され、マイカー族を中心に多くの人を集めました。由布岳や九重連山が間近に迫るような景観は素晴らしく、まだ舗装された道が少なかった時代において、舗装が施されたやまなみハイウェイは、注目を集めました。別府から阿蘇までという観光地を結ぶルートは、九州のゴールデンルートと呼ばれ、長者原をはじめとする沿線が観光地としてさらに発展するきっかけとなりました。

湿地の平原に整備された木道

平成9年、長者原ビジターセンターがリニューアルオープン

やまなみハイウェイの開通で長者原を訪れる観光客は増大し、お土産などを販売する店舗や飲食店が増え、観光牧場、温泉などが整備されていきました。そして平成6年には、やまなみハイウェイの有料区間が無料になり、ますます利用しやすくなります。観光客に加え登山客が多いのも九重連山の登山口でもある長者原の特徴で、休日にはたくさんの登山者で賑わいます。平成9年にリニューアルオープンした長者原ビジターセンターでは、登山情報の提供のほか、九重連山の自然の展示や、四季の様子を撮影した映像が見られます。また長者原ビジターセンターの裏手には多様性のある自然が満ち溢れたタデ原湿原が広がっており、タデ湿原へ通じる道はバリアフリー設計なので、誰でも安心して湿原の一部を見学することが出来ます。

長者原のヒゴタイ

豊かな生態系に溢れるタデ原湿原

タデ原湿原は、標高1000mの山岳地帯に形成された中間湿原です。面積は38haあり、日本最大級の面積を誇ります。平成17年には同じく九重連山にある坊ガツル湿原とともに、「くじゅう坊ガツル・タデ原湿原」としてラムサール条約登録湿地となりました。長者原ビジターを起点に自然研究路が整備されており、一部区間では車椅子やベビーカーが通行できるようになっています。自然研究2.5kmありますが、一周15分の短いコースもあり、気軽に豊かな生態系に溢れたタデ原湿原の自然を、観察することができます。3、4月の野焼きを経て、新緑の季節となる5月には、スミレ、サワオグルマが花を咲かせ、8、9月には氷河期の残存種であるヒゴタイが咲きます。秋は草原のすすきが黄金色に輝き、山々の木々が紅葉します。

長者原を流れる白水川

タデ原湿原の自然を守ってきた野焼き

タデ原は、約1万5000年〜6300年前の火山活動によって形成され、周囲からの湧水により湿原と化しましたが、近年の日本の気候では、放っておくと森となってしまいます。昔は家畜を放牧するために野焼きを行い、森林化を防いでいましたが、現代は放牧をしない農家が増え、一部の採草地を除いて野焼きが急激に減少していきました。野焼きの減少により、タデ原湿原の森林化が危惧される事態に陥りましたが、地域のボランティアが農家に代わって野焼きを行うようになり、豊かな生態系に恵まれたタデ原湿原が守られました。

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