荒廃と再興を繰り返し奈良時代からの仏教文化を守り発展してきた古刹、つつじと紅葉の名所でお寺を歩くと味わいを感じる大興善寺大興善寺

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佐賀県

つつじと紅葉の名所であり、境内には歴史を感じる大興善寺

佐賀県基山町にある大興善寺は、奈良時代に行基が開創したといわれており、1300年近い歴史を持つ天台宗のお寺です。福岡県と佐賀県の県境にある契山の麓に広大な境内を持つ大興善寺は、数多くの文化財を所蔵するお寺であり、数々の困難を乗り越えた歴史を感じる伽藍があります。また境内やお寺の公園である契園ではツツジ、モミジ、楠などの植物がたくさん植えられ、春のつつじ名所、秋の紅葉名所としても知られています。今回は境内や契園の紅葉やお寺の歴史に触れながら、大興善寺の魅力に迫っていきます。

本堂周辺の紅葉

人々から霊徳を尊崇された大興善寺の本尊、十一面観世音菩薩

奈良時代に民間布教や貧民の救済に尽力した僧である行基が717年にこの地を訪れ、十一面観世音菩薩を彫ってお祀りしたのが、大興善寺の始まりとされています。観世音寺あるいは無量寿院と呼ばれていた奈良時代の頃から十一面観世音菩薩は、大興善寺の本尊であり、本堂に秘仏として安置されています。その後834年には火災に遭い、お堂は焼失してしまいますが、本尊は幸いなことに、この火災から幸いなことができました。人々はこのご本尊の霊徳を尊崇し、参拝者が絶えなかったといわれています。

寺を再興した僧の円仁によって寺号を「大興善寺」に

847年には唐に渡って本格的な密教を修めた僧の円仁によって寺院が再興されました。天台宗の密教化を推進し、後に天台宗寺門派の開祖となる円仁は、寺号をかつて中国西安で教えを請うた「大興善寺」と同じ名前の「大興善寺」に改めます。「大興善寺」は、密教の中心的地位を占め、円仁が教えを請うた寺院でもありました。円仁は再興に尽力した大興善寺を、比叡山延暦寺の末寺とし、その地位は現在も続いています。南北朝の時代になると、戦乱で寺領の300余町の敷地や境内が荒らされました。このような状況下でも、本尊は常に安泰でした。

大興善寺にある宝篋印塔

江戸時代に建てられ、現存している本堂と宝篋印塔

戦国時代の1542年に勝尾城主の筑紫惟門によって、戦乱によって荒れ果てていた大興善寺を再興します。そして江戸時代になると、大興善寺周辺は、対馬藩の飛び地となります。1624年には対馬藩2代藩主の宗義成により、本堂が再建されました。この時建てられた本堂は、約400年経過した現在でも大興善寺の本堂として現存しており、古刹の姿を現在に伝えています。江戸時代後期には、当時の名僧であった豪潮律師が、大興善寺を一時的に拠点としていた時期がありました。豪潮律師は住職の慈厳法印とともに、寺門の護持・人々の救済に勤めました。大興善寺の契園入口には、慈厳法印が建立した宝篋印塔があります。豪潮律師の八万四千最初の塔といわれ、全国に幾千もある豪潮律師が発願した塔の中で、最初の塔といわれています。

大興善寺のシンボル的な存在となっている玉岡誓恩和尚が改修した石段

 

廃仏毀釈から大興善寺を再興した玉岡誓恩和尚

明治時代になると、全国的に起きた廃仏毀釈の波が大興善寺を襲います。住職が不在となり、境内は再び荒れ果てていきました。そんな中、明治2年に島原和光院より玉岡誓恩和尚が大興善寺の法灯を引き継ぎます。当時19歳と若い僧侶の玉岡誓恩和尚が寺の再興を進めました。仏教の戒めを堅固に守り、多くの人々からも人望を集めていた玉岡誓恩和尚は、自然岩でできた歩きづらい石段の改修を行ったり、江戸時代にこの地を治めた宗家の御霊堂を安置したりするなど、境内の整備に尽力しました。

契園の頂上付近にある契山観世音菩薩

大興善寺をつつじの名所にした契園

玉岡誓恩和尚の後に大興善寺を継いだ神原玄祐師は、大興善寺の境内にある契山の斜面を壇信徒とともにつつじを植え、大正時代に契園と呼ばれる公園を作りました。大興善寺は、別名「つつじ寺」と呼ばれるつつじの名所となりました。契園のつつじについては別の記事で詳しく取り上げたいと思っております。こうして明治以降の大興善寺は、春はつつじ、秋は紅葉を見物に多くの人々が訪れる古刹となりました。

大興善寺の仁王門から見る紅葉

訪れる人を惹きつける古刹と紅葉の風景

標高約412mの契山の麓に境内がある大興善寺は、山の斜面に公園が展開しており、春はツツジ、秋はモミジの葉が深紅や橙色など色鮮やかに変化する紅葉が訪れた人を楽しませます。古刹を感じる茅葺き屋根の本堂と紅葉の風景は、訪れる人を惹き付けます。また樹齢600年の大楠と周囲のモミジのコントラストも素晴らしいものがあります。夜間のライトアップが実施される時期もあり、大興善寺全体が、幻想的な雰囲気に包まれます。紅葉は例年、11月中旬から12月上旬が見頃ですので、足を運んでみてはいかかでしょうか。

色のコントラストが美しい大興善寺の紅葉

大興善寺のシンボル石段と本尊の十一面観世音菩薩立像

明治時代に玉岡誓恩和尚が、自然岩のでこぼこの石段を通行しやすいように改修した石段は、現在でも大興善寺境内への入口として寺のシンボル的な存在となっています。127段ある石段の両脇にはつつじが植えられており、花が咲く4月末から5月初旬にはつつじを見物に多くの人々が訪れます。江戸時代初期に建てられ約400年の伝統を持つ茅葺屋根の本堂には、奈良時代に行基が造ったとされる木造十一面観世音菩薩が安置されています。大興善寺のご本尊として数々の苦難を乗り越え、受け継がれた観世音菩薩立像は、12年に一度開帳される霊徳のある仏像です。

古刹の良さを感じる大興善寺

国の重要文化財に指定されている木造廣目天立像や木造多聞天立像など数多くの文化財を所蔵する大興善寺。奈良時代からの伝統のあるこの大興善寺は、幾度となく荒廃や寺領退転の危機に遭いながらこれを再興し、文化を積み重ねていきました。境内を歩くと、歴史を守り続けてきた古刹の良さを感じます。大興善寺の秋は、500本以上のもみじを中心に杉や檜の大木、日本庭園などとうまく調和した「色とりどりの紅葉」を楽しむことができます。その美しさから「日本紅葉百選」にも選ばれている大興善寺。皆さんも訪れてみてはいかがでしょうか。

 

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