有田焼の陶祖李参平が発見し、我が国の陶磁器生産の扉を開いた泉山磁石場

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佐賀県

稀有で良質な陶石を有する日本の磁器発祥の地、泉山

佐賀県有田町にある泉山磁石場は江戸時代に、有田焼の原料となる陶石が大量に採掘された磁石場です。江戸時代初期に、磁器の原料となる大量の陶石が発見された泉山は、幕末までの江戸時代を通して良質な陶土を供給した歴史ある採掘場です。中国から伝わってきた陶磁器を、有田や伊万里の地に根付かせた陰の立役者とも言うべき泉山磁石場。日本の磁器発祥の地ともされている泉山は、火山活動が重なったことで、良質な陶石になる流紋岩が出来上がりました。今回は稀有で良質な陶石を産出し、有田焼や伊万里焼などの陶磁器ブランドを生み出してきた泉山磁石場について触れていきます。

泉山の白磁ヶ丘相撲場から英山を望む

自然の営みに感服させられる泉山磁石場

泉山の流紋岩は、近くにあった英山の火山活動によって熱水変質が起こった結果、真っ白な岩になっています。この熱水変質によってセリサイト化が進み、流紋岩を良質な陶石として使用することが可能になりました。李参平が陶石を発見した江戸時代初期から幕末にかけて盛んに採掘が行われました。そのため泉山は、もともと山でしたが、陶石の採掘により削られていき、現在のような珍しい景観となっています。泉山磁石場は、英山や有田盆地を取り囲んでいる美しい山々を望むことができ、長い年月をかけて行われた自然の営みに感服させられます。

陶石の採掘によって斜面を削られた山

李参平ら朝鮮陶工が陶石を求め、発見した泉山

豊臣秀吉の朝鮮出兵で、日本に連れてこられた李参平ら朝鮮陶工たちは、佐賀の鍋島氏の領内で陶磁器の生産に適した土を探していました。朝鮮へ出兵した文禄・慶長の役で何人日本に連れてこられたかは、はっきりとわかりませんが、鍋島藩で150人くらい、日本全体で1000人程度というのが一般的な説です。恵まれない境遇に立たされた朝鮮陶工たちが、自らの生きる糧を得るために土を探し求めた気持ちは、計り知れないものがあったのではないでしょうか。李参平らが良質な土を求めて鍋島領内を転々としていった結果、泉山の陶石を発見します。それは我が国に陶磁器の文化が花開くきっかけとなる出来事でした。

大量でかつ良質な陶石供給を、可能にした泉山磁石場

泉山磁石場は、良質な陶石を大量に採掘できたため、陶磁器の大量生産が可能になりました。鍋島藩が陶磁器の生産に力を注いだこともあって製陶技術もしだいに向上し、泉山磁石場の良質な陶土を使った芸術性の高い陶磁器作品も数多く生み出すようになっていきます。そして日本国内の諸大名から賞賛を受け、朝廷や将軍家などへの献上品や鑑賞用として多く出回るようになります。海外へは1641年に長崎の出島を通してオランダ連合東インド会社から輸出されたのが始まりとされています。その後中国の政変で景徳鎮の陶磁器が入手困難になると、欧米諸国から高い評価を受けていた有田焼の輸出量が爆発的に増加しました。現存する1650年から1757年の公式な記録だけでも123万個の有田焼が輸出されており、その数に圧倒されます。泉山磁石場は有田や伊万里などの鍋島藩内で生産される陶磁器の陶土を供給する貴重な採掘場となりました。

貴重な泉山の陶石を管理・統制する鍋島藩

鍋島藩は皿山代官所によって、泉山磁石場で採掘された良質な陶石を管理しました。採掘の場所や業者を限定し、窯焼名代札などを発行することによって買い付けのできる窯焼きを統制しました。窯焼きは、陶石を水力によって粉砕する臼を所有し、陶磁器を生産する一連の過程を担っていました。また鍋島藩は窯焼きに等級をつけ、上質な陶石を優先的に購入できる窯焼きの区別を行いました。中でも大川内山にあった鍋島藩窯では、御用土と呼ばれる最高級の陶石が使用されました。

先人の時代から挑んできた、特徴のある泉山の陶石を生かす試行錯誤

幕末・明治時代の頃になると有田焼や伊万里焼が使用する陶石の主流が天草陶石に移り、泉山磁石場では、ほとんど採掘が行われないようになりました。天草陶石は、泉山の陶石に比べて成形が容易で、仕上がりの色も濁りがなく白いものとなるという利点があります。こうして多くの窯元は、天草陶石を使用することになり、現在我々が目にする白くて鮮やかな有田焼や伊万里焼の大半は、天草陶石になっています。しかし最近では、有田・伊万里焼の歴史の遺産とされる存在である泉山の陶石を使う窯元も出てきており、生産量はわずかですが、泉山の陶石を使った作品も復活しつつあります。泉山の陶石は、天草陶石と比べて鉄分が多いため、成形しづらく、色合いも白が出にくい欠点があります。しかし鉄分を含んだ独特な色合いを出すことが可能です。この天草陶石に比べて扱いづらいじゃじゃ馬のような泉山の陶石を生かす試行錯誤は、江戸時代の先人の陶工たちも挑んできた歴史があります。泉山の陶石を陶磁器生産に使用することは、江戸時代の先人から培ってきたものを継承することでもあり、大変意義深いものがあります。

泉山磁石場の車両出入口の紅葉

採掘場の奇異な風景と、四季折々の自然美が相まった泉山磁石場

泉山磁石場は、数多くのモニュメントのある広場から、磁石場全体を望むことが出来ます。約400の歳月をかけて採掘された泉山磁石場は、独特な風景が広がり、削られた岩肌を見ると人工的に切断された流紋岩の断面があらわれており、感慨深いものがあります。春の有田陶器市では、泉山磁石場がライトアップされ、現像的な世界を演出します。泉山磁石場は、紅葉のきれいな場所でもあります。11月に開催される秋の有田陶磁器まつり期間中に限り立ち入り禁止となっている敷地の一部が開放され、赤や黄色に色づいた紅葉とより近い距離から泉山磁石場を楽しむことができます。採掘によって削られた山の奇異な風景と四季折々の自然美が相まった泉山磁石場。有田の町の近くにありますので、有田焼の窯元を見学する傍らに、我が国の陶磁器発展の基礎を築くことに貢献した泉山磁石場を訪れてみてはいかがでしょうか。

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