平安時代の荘園・武家の秋月氏が切り開き江戸時代の秋月藩が整備した城跡と城下町が今も残る秋月、伝統と自然が調和した形で見せる秋月の紅葉

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城下町

周囲の自然と良く馴染んだ秋月の旧城下町

福岡県朝倉市にある秋月の旧城下町は、「筑前の小京都」と呼ばれるような古都の雰囲気が味わえる場所です。秋月城の前身である古処山城が築かれた頃から通算すると800年以上にもなる秋月。城跡や武家屋敷跡、城下町の町並みなどが大切に保存され、田畑や住居などの敷地割りや道路、水路などの基本構造が江戸時代の城下町の頃とあまり変わらず、現在も使用している所もたくさんあります。歴史のある城跡と城下町は周囲の自然とも良く馴染んでいて、訪れた人々を魅了します。そんな秋月の城跡や城下町に彩りを添えるのが春の桜と秋の紅葉です。特に紅葉は、城跡や城下町、稲刈りの終わった田園との調和が素晴らしく、秋の情緒を感じさせてくれます。今回は伝統に裏打ちされた景観を造り出した秋月の歴史に触れ、紅葉に焦点を当てながら秋月の魅力に迫っていきます。

秋月の紅葉

天然の要害に囲まれた秋月の地

平安時代に筑後川の支流である小石原川の上流域に、秋月の旧城下町の原点となる「秋月荘」が筥崎宮の荘園として開発されました。秋月は標高約860mある古処山の麓にあり、三方を山で囲まれ南に開けた町です。そのため、軍事的には天然の要害に囲まれた守りやすい地形にあり、鎌倉時代に筑前で勢力を誇った武家の原田氏によって秋月に古処山城が築かれます。原田氏は姓を秋月氏に改め古処山城を本拠地とします。戦国時代には、古処山城を大友氏に奪われたりしましたが、毛利氏の支援により奪い返すことに成功します。1587年に豊臣秀吉に降伏するまでの385年間、16代に渡って激しい戦いを繰り広げながら秋月を治めた秋月氏。秋月氏は、豊臣秀吉から日向国高鍋へ移封の処分を受け、秋月の地を離れることになりました。主を失った古処山城は廃城となります。

江戸時代に黒田氏が、秋月城と城下町を整備。

関ケ原の戦いで戦功のあった黒田長政は、恩賞として筑前の領地が与えられ、国替により本拠地を豊前国中津から筑前国福岡に移し、石高を30万石加増しました。こうして黒田52万石と呼ばれる大大名に成長した黒田氏は本格的な領土経営に乗り出します。福岡藩初代藩主であった黒田長政は、三男の長興に秋月のある夜須郡・下座郡・嘉麻郡の約5万石の領地を与え、秋月藩を成立させました。黒田長政が死去した翌年の1624年に黒田長興は、秋月に入ります。黒田長興は古処山城の麓にあり、秋月氏が平時に居所としていた場所に秋月城を築城します。城下町側に堀と石垣を廻らせ、背後には天然の要害である古処山で堅固さを強化しました。また、五つの櫓を置き、出入り口を2ヶ所の門に限定するなど守りやすさを追求した構造にもなっています。江戸時代初期に築城された秋月城は、明治6年の廃城令によって廃城となるまでの264年間、秋月藩の本拠となりました。現在、我々が秋月城跡や旧城下町として親しみも持たれている部分の大半は、この時代に形成されたものです。

野鳥川沿いの紅葉

野鳥川沿いの紅葉を散策して古処山の麓の自然を味わう

昔の城下町の風情を今に伝え、数多くの観光客が訪れる秋月。秋になると人気の紅葉名所として、早朝から紅葉見学の人々で賑わいます。観光駐車場から、紅葉の美しい黒門付近までは徒歩になりますが、秋月らしい旧城下町の雰囲気を味わいながら歩を進めていくことが出来ます。駐車場から少し歩くと野鳥川が流れています。野鳥川沿いの紅葉の風景は素晴らしいものがあります。清らかな川の流れに緑・赤・黄のコントラストが印象的で、古処山の麓の自然の恵みを感じずにはいられません。時間に余裕がありましたら、川沿いを歩いてみるのも良いでしょう。

秋月が見せる秋の風情

杉の馬場で秋を感じる

観光駐車場から近い野鳥川の橋から、杉の馬場を通って黒門に至るルートが、現在の秋月観光のメインストリートになります。このメインストリートの大部分を占める杉の馬場は、江戸時代に武士たちが馬を使った鍛錬を行った場所でした。その名の通り杉並木があったのですが、日露戦争の戦勝記念で桜並木に変えられたそうです。現在、桜の名所となっている杉の馬場については、後の記事で改めて取り上げさせて頂きます。紅葉の時期の杉の馬場は、柿などの秋月周辺の特産品を販売している露店や山女などの地物の食材を使った料理を提供する料理店、土産品や雑貨を扱った物品店などが立ち並んでいます。そんな昔の面影を残しながら商店が立ち並ぶ杉の馬場から遠くに目を遣ると、稲刈りの終わった田んぼや、黄色い落ち葉で地面を埋め尽くした銀杏の木、実が熟した柿の木など、秋を感じるものがたくさんあります。これは秋月の持っている魅力なのではないでしょうか。

黒門と紅葉

紅葉にマッチする秋月の黒門

約500mある杉の馬場を歩くと秋月でも一押しの紅葉スポットである黒門に至ります。現在初代藩主の黒田長興を祀る垂裕神社の参道にある黒門は、秋月城の大手門を明治時代に移築したものです。鎌倉時代に古処山城の搦め手門として造られたとも言われる黒門は、黒鉄色のシックな佇まいをしています。この黒門とカラフ紅葉のコントラストがとてもマッチしていて、見る人を感動させます。色づく紅葉を眺めながら黒門に入り、石段を登っていくと垂裕神社に至ります。登ってきた石段から見下ろす紅葉はまた格別の良さがあります。黒門周辺には約20本のカエデがあり、周囲の緑や石段や黒門が織り成す世界が見事で、思わず見入ってしまいます。

 

江戸時代の姿を今に伝える秋月城下町

明治時代の秋月は士族の反乱である秋月の乱が起こったり、秋月の近くにあった交通の要所である甘木に人口が移ったりしたため、近代化する開発が行われないまま現在に至りました。秋月には江戸時代に賑わっていた頃の城下町が残っています。そんな昔からの人々の営みが伝統として残っている秋月に、秋になると、紅葉がカラフルな彩りを添えます。江戸時代からの原風景が残る秋月の町を、秋を見つけながら散策するのは楽しいものです。秋月には四季折々の季節感が身近にあります。みなさんも秋月の紅葉を愛でながら、旧城下町の秋を味わってみてはいかがでしょうか。

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