太古の昔から刻まれてきた人々の営みと有明海沿岸の大自然が絶妙に調和した掘割、四季折々の表情と充実した年中行事に気さくな船頭が旅情を誘う柳川川下り

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クリーク

水辺の楽園を進む柳川の川下り

福岡県柳川市の柳川川下りは、江戸時代に整備された縦横に張り巡らされた堀割をどんこ舟で下る水郷・柳川を代表する観光です。しだれ柳や明治後期に建てられた赤レンガの倉庫の「並倉」、平瓦を敷き詰めた白なまこ壁など柳川を象徴する風景がどんこ舟から見え、水面に映り込む様子をみるのは、川下りの醍醐味でもあります。船頭さんは、呼吸をするように櫓を漕ぎながら舟を進め、時折唄う舟歌は、水郷柳川の川下りの情緒を掻き立てます。今回は、「水辺の楽園」とも呼ばれる緩やかな流れの柳川の堀割に触れながら、柳川川下りの魅力について迫っていきます。

木が生い茂る中を進むどんこ舟

先人たちが築きあげてきた掘割

柳川川下りのある福岡県柳川市は、九州最大の河川筑後川と、矢部川の下流にあたり、標高0〜3.5mの低地であるため、満々と水を湛えた緩やかな流れの水路が随所にあります。かつての柳川は、河川が運ぶ土砂や有明海の潮汐作用で泥土が堆積することで広大な干潟を形成していました。弥生時代に人々が陸地化した干潟に住みつき始めたとされ、この頃から、川下りには欠かせない柳川の堀割の歴史が始まりました。先人たちは干潟を堀り割り、その泥土を盛り上げ居住地を作りました。そして堀割は、集落の発展とともに伸びていき、農業用水や生活用水として欠かせない水路の役割を担うようになりました。ちなみに以前直鳥クリーク公園 を取り上げた記事で、地域に展開する水路をクリークという表現を使いましたが、この記事で表現している堀割と同一のものであると捉えて頂いて差し支えありません。

堀割から堀割へと狭い水門を進むどんこ舟

武士の世になると重要性がさらに増す掘割

鎌倉時代になると、文献などに柳川という地名が見かけられるようになります。そして堀割は、敵の侵入を食い止める軍事目的に使われたり、物資を運ぶ水運目的で使われたりするようになり、商品経済が発達していった武士の世では重要性を増していきます。戦国時代には、蒲池の国人にあたる蒲池鑑盛が柳川城を築城したといわれています。その後、柳川を攻略した龍造寺に奪取されます。柳川城をめぐって度々の攻防がありましたが、満々と水を湛えた堀割が網目のように取り囲んでいる柳川城は攻めにくく、難攻不落の城でした。

網の目のように張り巡らされている掘割

立花氏・田中氏が手掛けた大改修工事

1587年に豊臣秀吉から筑後13万石を封ぜられた立花宗茂は、本拠地を柳川城に定め、城の防御力を高め、堀割の利便性を高める大規模な大改修工事にとりかかります。しかし関ケ原の戦いでは西軍側に参陣したため、大改修事業を道半ばにして、柳川城を去らなければなりませんでした。その後入城した田中吉政は、立花氏の柳川城大改修事業を引き継ぎ、田中氏の手によって、柳川城は天守閣を備えた本格的な近世城郭に生まれ変わりました。そして田中氏に後継ぎがなく断絶すると、1620年に立花宗茂が再び柳川城の主に返り咲きます。これ以後明治維新まで、立花藩11万石の城下町として、柳川は栄えることになります。現在の柳川川下りで使用している掘割のほとんどは、柳川城を守り、円滑な水運を実現するために江戸の立花藩時代に整備されたものです。現在水郷柳川の観光の柱となっている川下りは、城下町柳川の約400年の歴史を伝える役割も担っています。

のんびりとした風景と、刻まれた歴史を感じる柳川の川下り

船頭さんの巧みな竹棒さばきによって動くどんこ舟から見える風景は、地上とは違った味わいがあります。民家の堀側には階段があり、昔は洗濯などの日常生活をしていた汲水があります。乗船しながら飲み物や、おつまみなどを購入できる水上売店、狭く低い水門を潜って堀から堀へと進む様子などを見ていると、趣深いものがあります。人的・物的交流の場として、昔の人々の日常生活に深く浸透していた掘割は、昔の人々が営んできたものを刻んでいました。そんな歴史のある掘割を進むどんこ舟に乗り、船頭さんの軽快な話術に引き込まれていると、まわりからは水を掻く音や鳥のさえずりなども聞こえてきて、のんびりとしたひと時が流れます。掘割沿いにある柳はいずれも立派で、柔らかい風にたなびく姿がとても心地よく感じます。

柳川川下りの水上売店

柳川観光のけん引役を担う柳川川下り

明治維新で武士の世が終わり、柳川城は廃城となります。そして明治以降の近代化で、上下水道の普及や、農業用水路の改良、鉄道や道路などの交通網の整備が進んだ結果、掘割はかつてのような重要な社会インフラではなくなっていきました。しかし明治の近代化以降も、どんこ舟を使った川遊びはさかんに行われ、掘割は地元の人々に愛着をもたれ続けた存在でした。川下りが柳川の主要観光として始まったきっかけは、昭和29年に公開された映画「からたちの花」で川遊びのシーンが脚光を浴びたことです。昭和30年ごろから柳川の船会社が観光客向けの川下りを始め、現在では柳川観光のけん引役を担うようになりました。

その時折の風情が楽しめる柳川川下り

柳川の川下りは、春は桜、初夏は菖蒲、夏はライトアップしたトンネルが楽しめる納涼舟、秋は観月舟や紅葉、そして冬はこたつ舟とそれぞれの楽しみがあります。中でも多くの人々の人気を集めているのが、例年2月中旬から4月上旬まで開催される「さげもん」です。柳川市内に雛の吊るし飾りが配され、掘割周辺も華やかになります。令和の現在でも、新郎新婦を乗せて披露宴会場まで川上りする「花嫁舟」があり、週末を中心に年間100組以上の利用があります。運がよければ「花嫁舟」に出会うこともあります。気さくな船頭さんの話や舟歌、四季折々の風景や年中行事など、昔の舟遊びをしていた頃からその時折の風情を楽しむ伝統を持つ柳川の川下り。みなさんも柳川の川下りをしてみて、その醍醐味にふれてみてはいかがでしょうか。

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