先人たちが開発し発展させていった歴史が見える町、伝統的建造物の価値が再評価され多くの人々が訪れる筑後吉井白壁の町並み

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うきは市

 

美しい景観を、楽しみながら散策できる筑後吉井白壁の町並み

福岡県うきは市にある「筑後吉井白壁の町並み」は、白壁土蔵の情緒ある建物の景観が広がる場所です。重要伝統的建造物群保存地区に指定された町並みは、日本文化の伝統を引き継いだ町家や土蔵や緑豊かな環境にある屋敷や寺社建築、吉井の水運や農業用水の供給を賄ってきた河川や水路などに味わいがあり、楽しみながら散策することができます。このような魅力あふれる町並みが出来た背景には、この地で暮らしてきた先人たちが前を向いて進取的に取り組んできたことが挙げられます。今回は筑後吉井白壁の町並みを取り上げ、先人たちが歩んできた歴史とその魅力について迫っていきます。

筑後吉井の水路と石段

筑後吉井の繁栄の基礎をもたらした水路建設

筑後吉井白壁の町並みは福岡県東南部に位置し、平成の大合併でうきは市となる前の旧吉井町の中心市街地にあたります。筑後吉井の町は、江戸時代初期に久留米と天領日田を結ぶ豊後街道の宿駅として機能し始めた頃が最初だといわれています。その後、筑後吉井の周辺の5人の庄屋が中心となって、筑後川の上流から農業用水を引く水路を建設する大事業を行い、水で潤った土地からの農業生産が飛躍的に向上します。また水路が出来たため水運も発達し、商品作物の栽培・加工及び集散が活発になり、商業が発達しました。江戸時代の初期の吉井の建築は、茅葺きの簡素なつくりだったとされており、現存の建物はありません。しかし道や水路などの現在の町並みを形づくる基礎はこの頃に出来ており、江戸時代の繁栄がなくして、今の筑後吉井はなしといっても過言ではないでしょう。

 

明治時代から進められた火事に強いまちづくり

吉井の町が発展していくと、木造の建物が密集して立てられるようになります。そのため一度火がつくと、広範囲に延焼してしまう火事に弱い町並みになりました。江戸時代から明治初期にかけて吉井の町では3度の大火に見舞われ、大変な損害を被っています。この苦い経験から、明治時代には周りから火が延焼してきても燃えない家にする工夫が実行されました。茅葺きの家屋から変わって瓦葺塗屋造りになり、外壁をはじめ軒裏までも漆喰で塗り固め、窓や店の開口部にも鉄製の扉を備える徹底ぶりでした。現在、筑後吉井白壁の町並みで見られる立派な建物は、明治、大正、昭和の初めまでに建てられたものがほとんどです。

日本家屋の伝統が見える筑後吉井のいぐら屋

近年になって再評価されるようになった筑後吉井の町並み

戦後の経済成長期になると、日本全国で近代建築が隆盛を極めたこともあって、伝統的な日本家屋への人々の評価が落ちていきます。筑後吉井でも、看板や壁で伝統建築を隠した景観が目立つようになりました。しかし昭和の終わりごろになると、全国的に町並み保存への動きが出てくるようになり、筑後吉井でも町並み保存への活動が見られるようになります。平成4年には筑後吉井で「全国町並みゼミ」が開催され、全国から訪れた大会参加者から筑後吉井の町並みの素晴らしさを絶賛されました。こうした町並みへの絶賛や町並み保存への地道な取組が、住民の意識を少しずつ変えていきました。学術的にも文化的な価値が非常に高いことが示され、平成8年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されます。保存地区内で町並みの価値を上げる行為に対しては、助成がつくようになり、かつての町並みに修復・復元する動きが加速しました。

筑後吉井の鏡田屋敷

重厚な土蔵造りの商家跡と立派な日本家屋で構成する町並み

筑後吉井白壁の町並みは、豊後街道の街路沿いに漆喰の重厚な土蔵造りの商家跡の町並みと、災除川と南新川沿いに建つ屋敷群で構成されています。土蔵造りの商家のほとんどは、自前の山林から材木を調達して建設したものであり、商売で財を成した筑後吉井の商人たちは自らの力を誇示するために競いあって建設したといわれています。筑後吉井の商家の建築は「いぐら屋」と称されています。「い」は居であり、「ぐら」は蔵、「屋」は家を意味します。蔵と住居が一体となった建築であり、蔵造りの重厚な日本家屋が立ち並ぶ様子は圧巻です。川沿いの屋敷群も立派な日本家屋と味わいのある庭を持っており、付近の水路と立派な屋敷がある風景は、江戸時代の利水事業によって発展した筑後吉井の歴史を物語っているようです。

 

先人たちの歩みと景観の美しさが同時に見える筑後吉井白壁の町並み

筑後吉井の「吉井」の名前の由来は、きれいな水が湧き出るところという意味からといわれています。農業用水の行き渡らなかった地に、筑後川を堰止めて潤沢な水を吉井周辺の農地に供給した水路は、吉井の人々にとって湧き出る水のように見えたのかもしれません。筑後吉井白壁の町並みは、水路沿いに建つ町屋や土蔵を起点として発展しています。「いぐら屋」と呼ばれる家屋、所々にある寺社建築、石積護岸や石段、石橋などは、味わいがあり、散策する人の目を和ませてくれます。筑後吉井の経済を支えた重要インフラである水路が、町の景観の重要要素になっているのは、感慨深いものがあります。このような美しい歴史的景観を生み出したのは、より良い町にしようと、筑後地域の代表的な商業都市にまで発展させてきた先人たちの努力の賜物にほかなりません。散策してみると町の発展の歴史と、景観の美しさを同時に見ることができます。皆さんも筑後吉井の白壁の町並みを訪れてみて、その素晴らしさに触れてみてはいかがでしょうか。

緑に覆われながら伸びる筑後吉井の水路

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