建設に短い工期・航空法の制約などの難題を突破しアジア太平洋博覧会で人気を博したモニュメントタワー、現在もテレビ局の電波塔や展望塔の役割を果たし福岡のシンボル的な存在として多くの人々から親しまれている福岡タワー

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アジア太平洋博覧会

 

アジア太平洋博覧会で、モニュメントタワーとして建設された福岡タワー

福岡県福岡市にある福岡タワーは、高さ234mある電波塔で、海浜タワーとしては日本一の高さを誇ります。福岡市と地元有力企業との共同出資による福岡タワー株式会社が運営している福岡タワーは、電波塔としての役割の他に観光・展望タワーとしての利用もできるタワーです。平成元年に福岡市制100周年を記念して開催されたアジア太平洋博覧会(通称・よかトピア)のモニュメントタワーとして福岡タワーは、建設されました。開業以降、地元福岡に寄り添うようにその歴史を刻んでいる福岡タワーですがその建設にあたっては、航空法上の問題を解決したり、短い工期での完成を迫られしたりしました。今回は平成元年に開催されたアジア太平洋博覧会に触れながら、現在も福岡市民をはじめ多くの人々に親しまれている福岡タワーについて掘り下げていきます。

シーサイドももちに広がる白い砂浜の人工ビーチ

かつては海だったシーサイドももち

福岡タワーは、福岡市博物館や福岡paypayドーム、オフィスビル、商業施設などが立ち並ぶシーサイドももち地区にあります。百道(ももち)という地名は、遥か昔ここが干潟だった頃、そこを往来する人々の足跡が東西縦横に交差する様を「百の道」と表し、転じて「百道」となったといわれています。福岡タワーがある場所はかつて海であり、大正時代から昭和中期にかけて百道浜海水浴場がありました。20軒ほどの海の家がある大規模な海水浴場でしたが、昭和30年代には福岡市の人口増加による水質悪化が進み、海水浴場は閉鎖されます。その後、百道浜沖を埋め立てて、アジア太平洋博覧会の会場とすることが決まり、昭和57年から埋め立て工事が始まりました。

室見川河口から福岡タワーを望む

博覧会開幕まで2年を切ったところで動き出した福岡タワーの建設計画

アジア太平洋博覧会の開催に向け、その準備が着々と進められていきましたが、開催の2年前になる昭和62年3月の会場基本計画には、福岡タワーはありませんでした。当時の福岡市長であった桑原氏の回想によると、姉妹都市であるフランスのボルドー市を訪問した時に博覧会のことで話題になったとのことです。そして1889年に開催されたパリ万国博覧会で建設されたエッフェル塔がパリのモニュメントタワーになったとのボルドー市長の発言から、タワーの建設を思い立つようになったとされています。またNHKと福岡の民放各局は、テレビ塔を移転する構想があったため、博覧会のモニュメントタワーを造りたい福岡市の思惑と合致しました。こうして、タワー建設への動きが加速していき、「電波塔」と「観光・展望タワー」の二つの性格をあわせもつタワーの建設計画が決まりました。

福岡タワー展望室から福岡市街地(天神・博多)方面を望む

福岡タワー建設に立ちはだかる航空法

福岡タワーは福岡空港に近い立地ということもあって、その建設にあたっては航空法が立ちはだかりました。福岡市上空は空港を離発着する航空路となっていることもあり、新しく建設されたタワーがその進路を妨害しないかが問題になりました。しかし航空機の進入方向でないことや、あくまでも電波塔としてのアンテナであることを考慮し、特例として建設することが可能になりました。こうして福岡タワーは昭和62年10月に施設配置が固まり、翌年の昭和63年1月に工事がはじまります。

234mの高さを誇る福岡タワー

短い工期で完成した福岡タワー

平成元年3月の博覧会開催まであと1年2ヶ月のところで始まった福岡タワーの建設は、短い工期で完成することが強いられました。そして延べ人数約4万人費やした大規模工事の末、博覧会の開幕する平成元年3月までに福岡タワーを完成させることができました。当時はバブル経済に湧いた好景気であり、福岡市も街自体の発展が、著しい時期でもありました。これほどの高層タワーを、短い期間で建設に関わる諸問題を解決し、計画・建設、そして完成までにこぎ着けることができたことの背景には、当時の経済活動の勢いが強かったことが挙げられるのではないでしょうか。

福岡タワーから博多湾を望む

アジア太平洋博覧会でも人気があった福岡タワー

日本国内から1056の団体・企業、海外から37の国・地域、国際機関2つが展示・参加したアジア太平洋博覧会。福岡タワーは、モニュメントタワーとして人気を呼び、博覧会開催中は常に入場待ちの列が見られました。約8000枚のハーフミラーで覆われた三角柱の形をしている福岡タワーは、完成当初は「ミラーセイル」の愛称が公募で名付けられました。21世紀へ漕ぎ出す光輝く鏡の帆をイメージしたそうです。アジア太平洋博覧会は、目標の700万人を超える823万人が来場し、盛況のうちに閉幕しました。

福岡市のシンボル的な存在として市民に親しまれている福岡タワー

アジア太平洋博覧会後、福岡タワーはNHK福岡放送局をはじめ、RKB、FBS、TNCの福岡基幹局送信設備として利用されます。そして展望室をメインとした観光施設は引き続き営業され、福岡市のシンボル的な存在として市民に親しまれています。高さ123mの展望室からは、福岡市街地から博多湾までが360度のパノラマで一望できます。また夜景も素晴らしく、街明かりや都市高速を走行する車のライトが昼間とは違った表情を演出します。タワー塔は、季節にちなんだイルミネーションが施されており、百道の夜景をきらびやかに彩ります。完成から34年たった現在も、風速63mの強風に耐えられる頑丈な設計は健在で、これからもシンボル的な存在を続けていけそうです。皆さんも福岡タワーを訪れてみてはいかがでしょうか。

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