玉垂命を祀る玉垂命信仰の発信地の一つ、日本三大火祭りの鬼夜と神仏習合の伝統が日本人の心を打つ大善寺玉垂宮

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久留米市

 

約1600年の伝統を持つ大善寺玉垂宮

福岡県久留米市にある大善寺垂玉宮は、玉垂宮の造営以来約1600年もの伝統を持ち、玉垂命、八幡大神、住吉大神が祀られている神社です。大善寺玉垂宮は天武天皇の治世である飛鳥時代の創建以来、お寺と神社が一緒に祀られていた神仏習合の形をとった典型的な神社でした。しかし明治の廃仏毀釈により寺院であった大善寺が廃され、神社の玉垂宮が残りました。現在では、仏教ゆかりの鐘楼や鬼堂や旧庫裏が境内に現存し、神仏習合の面影を今に残しています。国の重要無形民俗文化財に指定され、毎年1月7日に行われる鬼夜は、 1600年以上の歴史があり、家内安全、五穀豊穣、災難消除、開運招福が祈願されます。今回は、大善寺玉垂宮の歴史や代表する祭りである鬼夜について触れながら、日本のおおらかな文化の一つであった神仏習合についても考察していきます。

大善寺玉垂宮の獅子堂

玉垂命信仰の中心の一つである大善寺玉垂宮

神功皇后の三韓出兵に大功のあった藤大臣(別称:玉垂命)は、369年に玉垂宮を造営し、筑紫の政務を行ったといわれてます。玉垂命が没した後は御廟として祀られ、高良玉垂宮と諡(おくりな)されたと伝えられています。672年に法相宗の僧安泰和尚によって玉垂命を主祭神とする神社と精舎が開基され、御廟院高法寺と名付けられました。後に天台宗の寺院に改宗し、814年には嵯峨天皇の勅命で、殿堂、楼門、回廊などが新たに建立されました。荘厳な神仏習合の場所となった玉垂宮は、神仏の善美を尽くしたということで、大善寺玉垂宮に名が改められています。そして大善寺垂玉宮は、同じく筑後国にある高良大社とともに「玉垂命信仰」の中心の役割を占める神社として、長く人々の信仰を集めていきました。「玉垂命信仰」のもう一つの中心である高良大社については、別の回で述べさせて頂きます。

鬼夜の松明(展示用)

盛衰のある歴史を辿りながらも、守り続けた文化財

平安時代末期には、大規模な荘園であった三潴荘の中心として栄え、盛時には衆徒四五坊と社領三千町を有した大善寺玉垂宮。戦国時代の乱世で一時期衰退しましたが、江戸時代初期にこの地を治めた田中吉政から300石が寄進され、田中氏から領地を引き継いだ有馬氏からも手厚い保護を受け、その勢力を回復しました。そして明治時代の神仏分離令が出されるまで、神仏習合の典型的な形式をとった神社として多くの人々の信仰を集めました。大善寺が廃されたことにより、多くの古文書や宝物が散逸しましたが、垂玉宮やゆかりの家々によって、一部の文化財が保護されており、神仏習合の頃の大善寺玉垂宮の様子がわかる貴重な資料となっています。

 

燃え上がる炎と熱い男たちに感動する

毎年1月7日に大善寺玉垂宮で行われる鬼夜は、日本三大火祭りの一つとなっている壮大な祭りです。半裸になった百人以上の男たちが、竹や葦を束ね火を灯した小松明を手に持ち、「オイサッ、オイサッ」と声をかけながら参道から社殿に向かって歩きます。その火の移動する様子は鮮やかで「火の川」といわれています。そして、鬼夜の見どころでもある「大松明廻し」に移ります。直径約1m、長さ約13m、重さ約1.2tの「日本一」といわれる大松明6本が社殿に着いた男たちによって支えられます。紅蓮の炎を上げて燃え上がり、男たちが雨のような火の粉を浴びながら大松明を移動させます。この火の粉を浴びると難を逃れて無病息災が叶うといわれています。燃え上がる炎と熱い男たちの勇姿に感動する鬼夜は、大善寺玉垂宮の年始を飾るお祭りです。

 

秘密に覆われている鬼

故事によると、約1600年前の仁徳天皇の時代に玉垂命が、勅命を受けて闇夜に大松明を照して賊徒の肥前国の桜桃沈輪を探しだし、これを討ち取りました。しかし様々な災いが起こったため、桜桃沈輪の霊を慰める祭礼を行ったところ、災いが鎮まったといういわれが鬼夜にはあります。江戸時代には鬼夜自体が他藩に知られないよう秘密裏に行われ、婚姻などで、この地に移住してきた者には親兄弟にさえも秘密を漏らさないよう覚書を取ったそうです。そして令和の現在でも鬼夜の主役である鬼は、簑を被っており、どのような姿をしているのかは秘密となっており、謎とされています。燃える松明とそれを扱う勇壮な男たちが印象的な鬼夜ですが、謎となっている鬼とは何かと、大きな問いを問われているような奥深さを感じる祭りでもあります。

大善寺玉垂宮の鐘楼

鬼夜には欠かせない大善寺玉垂宮の梵鐘

鬼夜は神仏習合の天台修験の影響を受けながら、発展していきました。鬼夜に欠かせない大善寺垂玉宮の梵鐘は仏教由来のものであり、明治の廃仏毀釈で寺院がなくなった後も残りました。鬼夜の時の梵鐘は、一番鐘(鐘三つ大松明廻し勢揃い)、二番鐘(鐘五つ鬼火出御)、厄鐘(七・五・三行事終了)という重要な役割を担っています。また祭りの佳境に入ると鐘が際限なく乱打され、松明を動かす男たちを鼓舞します。梵鐘が納められている鐘楼は、鬼夜には氏子役員が上り、燃える松明の行方を見守ります。

楼門から本殿を見る

古代からの伝統を感じる大善寺玉垂宮

大善寺垂玉宮の境内を歩くとかつて神仏習合の時代の跡が多数あります。現存する鬼堂や鐘楼はもちろん、二つある楼門、広い空間のある敷地などは失った大善寺の在りし姿を想像させます。明治の神仏分離令で大善寺が廃された後も、仏教の要素を取り入れた神事として鬼夜は守り続けられ、鬼夜の中心となる梵鐘は修復したり、新しく鋳造したものと入れ替えたりしながら現在に至ります。明治の廃仏毀釈で現代に廃寺跡として残る場所は日本中多々ありますが、神仏習合は日本人の心情に根付いたおおらかな文化であると、大善寺玉垂宮に触れてみて改めてそう思いました。みなさんも大善寺玉垂宮を訪れてみて、古代からの伝統のある文化に触れてみてはいかがでしょうか。

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