有馬藩の魂残る、久留米城跡

スポンサーリンク
久留米城
久留米城跡の空撮映像

久留米有馬藩の本拠地、久留米城

福岡県久留米市にある久留米城跡は、江戸時代にこの地を約250年間治めた久留米有馬藩21万石の本拠地でした。かつては本丸に加え、二の丸・三の丸・外郭を南北に配置した連輪式の構造をもつ大規模な城跡です。現在は、二の丸、三の丸の広大な敷地はブリヂストン久留米工場が建設され、外郭は久留米市街地となっています。本丸は、御殿や櫓などの建物は撤去されましたが、跡地に有馬記念館と篠山神社が建てられ、石垣や内濠は江戸時代当時のものが、残っています。春には、ソメイヨシノやヤマザクラが咲き乱れ、雄々しい石垣に咲く桜は、独特の味わいがあります。今回は、江戸時代にこの地を統治した久留米有馬藩を中心に考察していきながら、久留米城跡について調べていきます。

久留米城本丸跡から筑後川を望む

天然の要害に建てられた久留米城

久留米城は、北西に筑後川が蛇行して流れる小高い丘に建てられた平山城です。川と丘という天然の要害を生かした城は、戦国時代から軍事目的として使用された歴史がありますが、久留米の町が城下町として本格的に発展していったのは、江戸時代の1621年に、筑後21万石の大名有馬氏が久留米城を本拠としてからになります。久留米市街地の旧城下町にあたる場所が、少し坂道なっているところや、久留米城の桜が高低差のあるところから楽しめるのは、久留米城が天然の要害に建てられたことに起因します。

ブリヂストン久留米工場横の桜並木(江戸時代の久留米城二ノ丸跡地)

久留米有馬藩の壮大な久留米城の大改修事業

有馬氏は、福岡藩主の黒田長政の助力を得て久留米城の大改修に取りかかります。本丸・二ノ丸・三ノ丸・外郭に濠を廻す計画を立て、これまでにあった計画区域内の町家・寺社を城外に移転させるという壮大なものでした。有馬氏の大改修工事によって久留米城は、東は現在の久留米市役所北側付近、南は現在の裁判所裏手の森と溝までに拡張されます。そして現在の久留米市役所から西鉄久留米駅付近には町人の町や寺町が形成され、久留米は江戸時代を代表する城下町に生まれ変わりました。

久留米城の別名篠山城の解説

城下町の機能を失った久留米

江戸時代の約250年間、有馬21万石の本拠地として久留米城は君臨していましたが、明治の廃藩置県、廃城令によって一部の山門を除き建物が撤去されることになりました。石垣まで取り壊されそうになりましたが地元の有志らによって阻止され、そのおかけで有馬氏の往時を偲ばせる石垣は現在も残っています。城下町としての機能を失った久留米はしばらく県庁所在地として機能していましたが、明治9年に福岡県に統合されてからはその機能も失います。県庁所在地を喪失した翌年の明治10年、久留米藩の旧藩士・領民らの手によって、有馬家への追慕・感謝の意を込めた篠山神社が、本丸御殿跡に建立されました。初代豊氏公、7代頼柚僮公、10代頼永公、12代頼咸公、14代頼寧公の5人の業績が卓越していた有馬家当主が祀られている篠山神社に人々は、旧城下町久留米の復興と安寧を願いました。

本丸御殿跡に建てられた篠山神社

軍都、産業都市として発展

日清戦争に勝利した頃になると久留米は再び活況を取り戻します。明治30年から久留米は陸軍の駐屯地が置かれ、軍都として発展します。また大正時代から盛んになった地下足袋生産がゴム化学工業の発展に結びつき昭和9年、久留米城の二の丸・三の丸跡の広大な敷地に、後に世界的なタイヤメーカーに成長するブリヂストンの久留米工場が創業します。戦前の日本政府の富国強兵政策が久留米に多大な発展をもたらしました。太平洋戦争では、米軍の空襲による甚大な被害を受けたものの、戦後はゴム化学工業を中心に発展し、福岡県南部の筑後地方の中心都市として揺るぎない地位を占めました。

篠山神社、有馬記念館を紹介する久留米市の動画

久留米の郷土史を認識させられる本丸跡

篠山神社は創建された後も、多くの神社関係者、地域の有志により、地域の歴史や偉人を称える巨大な石碑がいくつも建立され、この地域の郷土史を再認識させられる場所です。昭和35年には、当時のブリヂストン社長石橋正二郎氏より寄贈された有馬記念館が、篠山神社に隣接するように完成しました。郷土資料の検査・研究を目的した施設で、歴代久留米藩主の武具、工芸品などの有馬家資料を中心とした久留米藩政資料を主に展示しています。本丸跡は、現在の久留米市の発展の基礎を築いた久留米藩の歴史を知る重要な場所となっています。

桜の花びらと久留米城の石垣

久留米城跡の桜

久留米市内の桜の名所として知られる久留米城跡の桜の木は、およそ30本あるとされています。桜の名所にしては30本は少ないと感じる方もいらっしゃると思いますが、周辺の趣きある草花や木々、そして歴史ある石垣や濠に桜の花が映え、小高い城跡一帯が淡い桃色に染まり、まるで絵巻物の世界に飛び込んだような美しさが目の前で展開します。

久留米城本丸跡の濠と石垣

平和な時代に、丁寧に築かれた有馬氏の久留米城

九州最大の河川である筑後川と筑後川からの水で張り巡らされた濠、敵から攻められにくい小高い標高20mの丘に築城された久留米城は、景勝地のポテンシャルが高く、現在は久留米城本丸跡として、久留米市民の憩いの場となっています。春は桜、秋は紅葉を楽しめ、昭和58年には、福岡県の指定文化財になった久留米城跡。戦に明け暮れた戦国大名や時の権力者が権力にものをいわせて築いた突貫工事の城とは違い、久留米有馬藩が築いた久留米城は、平和な江戸時代に長い年月をかけて丁寧に築いた城です。みなさんも久留米城跡を訪れてみて、丁寧に積み上げられた石垣、石段などを観賞し、久留米が近世、近代を代表する都市へと発展していった歴史を検証してみてはいかがでしょうか。

本丸跡の石垣から濠を見る

コメント

タイトルとURLをコピーしました