歴史的文化財が佐賀の原風景を守った、直鳥クリーク公園

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クリーク
直鳥クリーク公園の空撮動画

佐賀の農業を支えてきたクリーク

佐賀県神埼市千代田町のほぼ中央部、城原川の右岸に位置する直鳥地区に、直鳥クリーク公園があります。クリークは、主に農業用水を確保するために使用された水路です。標高が低くて、川の流れが緩やかな佐賀平野において、排水路や貯水池、調整池の役割を果たしており、縦横に張り巡らされたクリークが、全国有数の穀倉地帯である佐賀の農業を支えてきました。鉄道などの近代設備が導入される前の昔は、水運、生活用水としても利用され、現在よりも密接に人々の暮らしに関わりがあったクリーク。戦後の高度経済成長以降、効率的な農業を実践するために護岸のコンクリート化や、水路を統廃合することにより、佐賀の原風景とも言えるクリークの景観がなくなっていきました。しかし時代の流れに取り残されたかのように、直鳥クリーク公園は、佐賀の昔の原風景をとどめたまま残っています。なぜ、昔のまま残ったのかというと、戦国時代この地にお城があり、廃城となった後も、城下町だった場所が集落として残ったことが、面影を残す要因となったからです。今回は直鳥クリーク公園について、深く探っていきます。

低湿地帯だった頃を偲ばせるような風景

開発の礎となったクリーク

直鳥クリーク公園は、弥生時代の環濠集落である吉野ヶ里遺跡から直線距離で、有明海の海岸方面へ約6キロ離れた場所にあります。吉野ヶ里遺跡が一大勢力を誇っていた弥生時代、この辺りには朝鮮系無文土器などが出土した上黒井遺跡が確認されており、有明海の海岸がゆっくりと後退し始めた弥生時代から、人々の定住が始まったとされています。そして、中世にはほぼ現在に近い形の集落が形成されました。当時、低湿地であった直鳥地区の開発に重要な役割を担ったのが水路です。地域開発の為に縦横無尽に張り巡らされた水路が、田畑や集落形成の礎となり、後に軍事施設である城の建設に生かされました。

直鳥城本丸に至る道

クリークを防御に生かした直鳥城

戦国時代初期に、この地を治めていた直鳥犬塚氏は直鳥城の建設にとりかかります。直鳥犬塚氏はもともと筑後の豪族蒲池氏の一族でしたが、筑後での騒乱を避けてこの地に土着しました。戦国時代初期の城と言えば、戦いに主眼を置いた山城や平山城がメインでしたが、直鳥犬塚氏は、クリークが防御の役割を担うことに目を付け、水城と呼ばれる平城を築きます。現在、直鳥クリーク公園やその周辺に竹藪となっているところは、防御のために土塁が設けられていたと考えられています。直鳥城は、この地方で独自に発達を遂げた中世の低平地城館の典型であり、後の安土桃山時代や江戸時代に盛んに築かれた平城の原型と言って良いのではないでしょうか。直鳥城は、1504年から1521年の間に築城され、城下町にあたる環濠集落も直鳥犬塚氏の支配下のもとに発展していきました。

直鳥城の曲輪跡

直鳥城陥落する

やがて戦国大名の竜造寺氏と大友氏の争いが激しくなると、この地域も争いの主戦場となります。直鳥犬塚氏は大友氏に参陣し、竜造寺氏と戦うことになります。しかし1570年に起こった今山の戦いで大友氏の軍は大惨敗を喫し、直鳥犬塚氏をとりまく環境は、急速に悪化します。周辺の城原川クリークをうまく利用して十重二十重の防御を施した直鳥城でしたが、竜造寺氏の攻撃には耐えられず、やむなく陥落してしまいます。直鳥犬塚氏は筑後に敗走し、直鳥城は廃城しました。

直鳥クリーク公園に架かる橋

江戸時代は、水運の発達した郷村として発展

直鳥城は廃城しましたが、直鳥城の「城下町」に相当する環濠集落は、クリークという水運に恵まれていたことと、農業を中心とした経済基盤が確立していたこともあって、城跡を取り込んで郷村として発展していきます。人がこの地から離れず、荒廃することなく戦国時代からの遺産を現在に受け継いだためこの一帯は、土地開発と農業生産、さらに、領主層の発生と城館の形成史を見ることができる貴重な歴史遺産・歴史的景観となりました。大規模圃場整備前の佐賀平野を知る方で、直鳥クリーク公園になつかしさを感じるのは、江戸時代に発展した郷村のクリークを残しているからだと言えます。

満々と水をたたえるクリーク

昔ながらの景観が守られた直鳥城跡一帯

佐賀平野のクリークは、農業の近代化や、水上交通の衰退、宅地・工業用地の確保、上下水道の発達等の理由によりクリークの改修や埋め立てが進み、佐賀の原風景をとどめた昔ながらのクリークは、消滅しつつあります。そんな時代の波が押し寄せながらも、直鳥城跡一帯のクリークは貴重な文化財として保護され、圃場整備などの近代化開発を免れていきます。そして佐賀県は、平成22年度に昔ながらの水辺の景観を維持する目的で、城跡を直鳥クリーク公園として整備しました。

直鳥クリーク公園と周辺の開発された土地

生態系の宝庫、直鳥クリーク公園

ライギョやナマズ、そして佐賀平野で古く親しまれていたフナ、水鳥が数多く生息し、豊かな生態系を維持している直鳥クリーク公園。戦国時代や江戸時代からあったクリークが縦横に走り、弥生時代の低湿地であった頃を偲ばせるような葦や灌木が生い茂っています。水流の遅いクリークには水草もたくさんあり、水草の一種である菱の実も採取できます。菱の実は「ウォーターマロン」とも言われ、栗に似た風味がするそうです。直鳥クリーク公園の南側にある下直鳥地区では、秋になると大きなタライに乗ってクリークにある菱の実を手摘みする菱の実取りが行われます。

直鳥城跡と草刈ボランティアの動画

直鳥クリーク公園を訪れてみましょう。

直鳥城跡のかつての武士の館だった場所は、掘割の面影が残っており、水路が取り囲まれて小島のようになっています。戦国時代初期から中期の城と言えば水の入っていない空堀が主流でしたが、水深もしっかりある立派な水堀の城郭を形成しています。そんなことに関心しながら少し歩くと、江戸の郷村時代に整備された棚路にたどり着きます。棚路は、農家が水汲み場や洗い場として利用した場所です。プールのようになっているので、遊泳したり、川遊びをするにはいい場所だったのではないでしょうか。直鳥クリーク公園をゆっくり歩くと、時代の変化を受けながらもしなやかに対応していった様子を感じ取れます。みなさんも直鳥クリーク公園を訪れてみて自然と融合した佐賀の原風景を味わってみてはいかがでしょうか。

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