城下町として整備されその後天領のお膝元として経済の一大中心地として繁栄、経済・文化が発展していった史跡を見ながら商店街のショッピングが楽しめる日田豆田町

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咸宜園

日田陣屋のお膝元として栄えた豆田町

大分県日田市にある豆田町は、江戸時代に天領が置かれた日田陣屋のお膝元として栄えた風情ある城下町です。多くの史跡や商家、家屋敷が集まる豆田町は、「豊後の小京都」または「九州の小京都」などとも呼ばれています。豆田町にある南北2本と東西5本の通りからなる町割や、街区の敷地割は、江戸時代初期に行った城下町整備の形状を引き継ぐものです。基盤が整えられた城下町は、江戸時代から昭和初期にかけて商人の町として栄えました。現在は当時の面影を残しながら、カフェやレストラン、土産屋などの多くの店が立ち並び、多くの観光客で賑わっています。今回は、豆田町の歴史を振り返りながら、その魅力に迫っていきます。

永山城の堀と石垣

城下町、そして天領経済を担う町として整備された豆田町

九州のほぼ真ん中に位置する日田盆地は、周囲の山々から流れる豊富な水が集まって筑後川の合流地点となることから、古くから北部九州の各地を結ぶ交通の要衝として栄えました。そんな日田盆地にある豆田町は、1601年に小川氏によって築かれた丸山城の城下町となります。1616年に入封した石川氏が永山城と改称し、豆田町の本格的な開発がはじまります。1633年には小笠原氏が領有し、1639年に幕府直轄の天領、1682年に松平氏の領地となり、永山城の山上は廃して麓に館を築きます。日田の領主は入れ替わりましたが、豆田町は城下町としてのポジションを維持し続けました。1686年には再び天領となり、明治維新まで幕府の支配は続きました。幕府は日田に置いた代官を西国筋郡代に昇格させ、九州支配の重要な拠点とします。こうして、豆田町は天領の経済を担う商人の町として整備していきます。

永山城天守から、豆田町方面を望む

経済の一大中心地となり、町人文化が花開いた豆田町

天領時代の日田は永山城の麓に、代官が行政を行う陣屋が置かれました。隣接していた豆田町の商人たちは、日田陣屋の経済力を背景に、近隣諸国や京都・大坂商人との取引で富を得ていきます。そして代官所の公金を預かり、西国諸大名に貸し付ける掛屋として商取引する者も現れました。この強力な貸付資金は「日田金」として知られ、日田は経済の一大中心地となりました。こうして力をつけた商人たちは、日田の経済を支えるようになり、豆田町は代官の膝元の町人地として繁栄します。財を成した商人たちの町人文化も花開き、文人墨客の往来なども活発になり、日田豆田町は栄華を極めた華やかな町へと、変貌していきました。

豆田町の外れに設立された私塾「咸宜園」

幕府の拠点となる西国筋郡代が置かれた天領の日田は、経済と文化が隆盛を極めた他に、学問も盛んになりました。1805年に私塾の桂林荘が創立され、その後儒学者であった廣瀬淡窓が豆田町外れに私塾を移します。そして廣瀬淡窓は咸く宜し(ことごとくよろし)という意味を込めて名称を「咸宜園」に改めました。門下生一人ひとりの意思や個性を尊重する教育理念を掲げた咸宜園は、入学金を納入して名簿に必要事項を記入すれば、身分は問わず男子はいつでも入塾できました。また「三奪の法」により、身分・出身・年齢などにとらわれず、すべての塾生が平等に学ぶことができるような私塾でした。

咸宜園の春風庵

日本最大級の塾生を誇り、たくさんの著名人を輩出した咸宜園

咸宜園では四書五経のほかに、数学や天文学、医学などの様々な学問分野にわたる講義が行われました。咸宜園は江戸時代の私塾の中でも日本最大級の塾生を誇るようになり、遠方からの者も多かったため、寮も併設されます。咸宜園は廣瀬淡窓の死後も続き、明治30年まで続き、首相となった清浦奎吾をはじめ、高野長英や大村益次郎、長三州、帆足杏雨など幕末や明治時代に各方面で活躍した著名人を輩出しました。

味わいのある豆田町の町並み

明治時代以降の日田経済を支えた林業と木材加工品の生産

山に囲まれた盆地にある日田は、山林に恵まれた林業の盛んな土地でもあります。そして日田の豊富な木材を使った木材加工品の生産も盛んであり、品質の良い日田杉を使った木材加工品は、多くの人々から支持されている銘品です。明治維新で、幕府の経済力を背景にした天領経済が消滅した日田は、木材集積地や木材加工品の産地となります。そのため明治以降の日田の経済を支えたものは林業であり、江戸時代の華やかな時代に培った工芸品でした。豆田町の商店でも数多くの木材加工品が販売されており、歴史ある伝統工芸品にふれることができます。

豊富な種類の下駄が展示されている豆田町の「天領日田はきもの資料館」

天領日田はきもの資料館の日本一の杉げた

日田の木工工芸品の中でも有名な特産品であるのが日田下駄で、質量ともに静岡と広島県福山市の松永と並ぶ下駄の三大産地の一つとなっています。江戸時代後期に代官が下駄づくりを奨励したことから始まった日田下駄は、機械による生産向上を果たした明治40年以降は、全国に出荷されるようになりました。豆田町にある天領日田はきもの資料館は、昔ながらの下駄はもとより、現代的なカラフルな下駄やサンダル、重さ1トンもある日本一大きな杉下駄など、豊富な種類の下駄が展示してあります。

各時代の遺構や、多様性のある史跡を見ながら町歩きやショピングが楽しめる日田豆田町

江戸時代から昭和初期にかけて商人の町として栄えた日田豆田町には、石レンガの道沿いに江戸時代の掛屋や店、明治時代の商家、昭和初期の3階建て建築などがたくさん残っています。各時代の遺構の雰囲気を楽しみながら町歩きや、ショピングができるところが豆田町の醍醐味です。永山城跡のある月隈公園や咸宜園など町の周辺にも史跡があり、豆田町が多様性のある町として発展していった歴史があることを確かめることができます。皆さんも日田豆田町を散策してみて、その魅力を感じてみてはいかがでしょうか。

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