当時の土木建築技術の粋を集めた錦帯橋
山口県岩国市にある錦帯橋は、江戸時代に岩国城下を流れる錦川の激流に耐えうるために、創意工夫を施して架けられた5連アーチの美しい木造橋です。錦帯橋は、当時の土木建築技術の粋が集められており、精巧さと強度は、現代橋梁工学においても通用するものとなっています。激流に耐えうる強度もさることながら、精巧に設計された錦帯橋は、その構造美もまた素晴らしいものがあります。5連の木造アーチ橋が織りなす複雑な構造は、様々な角度から美しい景観を楽しむことができます。今回は先人達の知恵と努力によって造られ、現在は山口県を代表する人気の観光地となっている錦帯橋について掘り下げていきます。
吉川氏、錦川を外堀とする天然の要害に城を築く
清流錦川が流れ、周囲には山があり、春は桜、秋は紅葉と風光明媚な土地に立地する錦帯橋。この豊かな自然は、観光地として大きなポテンシャルを錦帯橋に与えていますが、今から約400年以上前の戦国時代では、天然の要害のある軍事上大きなポテンシャルのある土地でした。関ヶ原の戦いの翌年にあたる1601年に吉川広家が岩国に入ると、天然の要害を利用して現在の岩国城を築城します。そして錦川を天然の外堀として利用し、岩国城側に諸役所や上級武士の居住地、対岸には中下級武士や町民の居住地として定めました。関ヶ原の戦いで領地を減らされ周防と長門に配置された吉川氏とその本家である毛利氏は、幕府方の勢力に攻め込まれる危険がありました。そのため毛利氏の領地の東に位置する吉川氏は、東からの脅威に備えるため、防御が盤石な地を本拠地に選びます。
錦川の洪水で流される橋
吉川氏は防御に重きを置いた城下町を整備しましたが、そのために一つの難点が浮かび上がってきました。吉川氏の岩国藩の中核となる中下級武士が藩政の中心地へ行くには、暴れ川で有名な錦川を渡る必要がありました。城下町が整備された当初から橋は架けられていましたが、洪水の度に壊れてしまうという有り様です。このような事態を重く受け止めた岩国藩第3代藩主の吉川広嘉は、洪水になっても流されない橋を建設するための研究を始めます。有能な技術者を広く集めて建設技術の結集をはかったり、創意工夫をはからせたりしました。また藩主吉川広嘉の薬を買う名目で技術者を長崎に派遣させ、眼鏡橋などの長崎にあった石造アーチ橋の研究をさせたともいわれています。こうして橋の建設に関わるあらゆる知恵を結集し、最善と思われる改良を加えながら建設に取り組んだ木造アーチ橋の錦帯橋が1674年に完成しました。
アーチ橋で、橋柱を少なくする工夫が施された錦帯橋
錦帯橋は、水量が豊富で暴れ川の異名をもつ錦川の流れに耐えうるようにするため、川底に敷石を敷き詰め、四つの小島状の石造橋台を築き、5つのアーチ型の橋を架けています。そして中央の3つの橋は、弓なりに大きく曲げて強度を強めることで橋柱をなくし、川の流れの障害になるものを最小限にしようとしている工夫が施されています。
実用性と構造美を兼ね備えた錦帯橋
繊細な組み木の技法によって建設された錦帯橋は、巻金とかすがいのほかには、釘は1本も使っていません。橋の真下に行くと、このような組み木の美しい幾何学模様を近い距離から見ることが出来ます。組み木が整然と並んでいる様子は息をのむものがあり、日本三名橋の一つ錦帯橋の裏側が見せる独特の景観が展開します。独創的なアーチ構造は、約60tもの重さに耐えうる強度を生み出していますが、この強度という実用性を兼ね備えた美を発信している錦帯橋は、誠に秀逸であります。
錦帯橋完成後も続けられた努力
錦帯橋は完成した1674年以降も改良や架け替えを繰り返し行い、橋のアップデートを行いながら現在に至っています。1677年には技術者を近江(現在の滋賀県)に派遣し、要害石垣の築造法など戦国の世に培った土木技術を学ばせます。学んだ技術を生かして橋脚を支える敷石の補強や周辺に捨て石を配置することで、錦帯橋をより堅固なものにしました。1682年には、人が渡るときの揺れを抑える鞍木(くらき)と助木(たすけぎ)が備えられ、上下左右の揺れが軽減されました。橋が完成した後も、より堅固により良い錦帯橋にしていく努力が続けられました。
昭和28年のキジア台風で損壊するものの復旧した錦帯橋
防水や腐朽防止のための措置がとられながら、江戸、明治、大正、昭和へと錦帯橋の歴史は続いて行きます。しかし昭和25年に岩国を襲ったキジア台風により、錦帯橋は損壊してしまいます。損壊の原因として第2次世界大戦時の松根油採取などで山が荒れたことや、米軍岩国基地拡張工事のために、錦帯橋周辺の砂利が大量に採られ、橋脚近くの敷石が剥がれたことなどが挙げられるようです。その後、橋の復旧について議論され、国はコンクリート橋にする意向でしたが、住民の強い要望により原型のとおりに復旧することが決まりました。そして昭和28年に原型に復元した錦帯橋の一般供与が開始されました。
先人の努力と知恵が詰まった錦帯橋
錦帯橋を建設した岩国藩は、橋を守るために、周辺の山の自然林の伐採を禁止したそうです。現代の橋梁工学から見ても遜色ない設計や、自然環境への配慮など、錦帯橋には現在を生きる我々にとっても教訓となるものがたくさんあります。そして「錦」の名の通り、周辺の豊かな自然が橋の美しさとあいまって、四季折々の素晴らしい景観を我々に提供してくれます。橋の長さは、橋面に沿って210m、直線で193.3mと、まさに絵に描いたようなアーチ橋の錦帯橋は、先人の努力と知恵が詰まった橋です。皆さんも錦帯橋を訪れてみて、その素晴らしさを発見してみてはいかがでしょうか。
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