関門海峡にそびえ立つ地域のランドマーク、当時の革新的な工法で建設され50年経った現在も本州と九州を結ぶ自動車交通の大動脈を担う関門橋

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下関市

関門海峡に架かる重要な交通インフラで、エリアのランドマーク的存在の関門橋

山口県下関市と福岡県北九州市の間にある関門海峡に架けられた関門橋は、本州と九州を結ぶ陸上交通のインフラの一つとして重要な役割を担っている長大橋です。関門橋は昭和48年に完成して50年経ちますが、現在もヒトやモノの移動や経済活動を促進することに、大きく貢献しています。また関門橋の両岸には、下関側の火の山公園、唐戸市場、北九州の門司側の門司港レトロなど観光名所が近接しています。そんな観光地エリアでもある下関と門司を代表するランドマークとしても、関門橋は欠かせない存在となっています。今回は、橋の建設に関わる歴史に触れながら、本州と九州を結ぶ大動脈としての役割を果たし、関門海峡を代表する景観を演出している関門橋に迫っていきます。

みもすそ川公園から関門橋を望む

古くから交通の要衝であった関門海峡

最関門海峡は、本州と九州が分断された約6000年前に形成されたといわれ、古くは神功皇后の伝説から始まり、源平合戦、幕末の動乱など、数々の歴史の舞台にもなっています。最狭部は幅500mしかない関門海峡は、日本海から瀬戸内海に抜ける極めて重要な交通の要衝であり、畿内や瀬戸内地域と中国大陸や朝鮮半島を結ぶ重要な海路でもありました。そんな多くの船舶が行き交う関門海峡を横断し、本州と九州を直結する陸上交通インフラとして、昭和17年に関門鉄道トンネル、昭和33年に関門国道トンネルが開通します。中でも自動車交通を担う関門国道トンネルは、戦後の高度経済成長やモータリゼーションの進展で、交通量が飽和状態になりました。

革新的な新工法を採り入れて建設された関門橋

増大する下関〜門司間の自動車の交通量に対応するため当時の建設省は、昭和40年に吊り橋形式の架橋を決めます。そして全国に広がる高速道路網の整備計画と絡めて自動車専用道路として関門橋が建設されます。昭和43年に建設工事が始まり、5年の歳月をかけて昭和48年に開通した関門橋は全長1068mあり、当時日本一の長さであった627mの若戸大橋を抜いて、東洋一の吊り橋となりました。約2万7000トンの橋桁を支える2本のメインケーブルは1本あたり約1万4000本の鋼線を束ねています。当時の関門橋の建設工事の発注をした日本道路公団は、工場で鋼線の束をつくり、現場でそれらを対岸に渡してひとまとめにしてメインケーブルにする革新的な新工法を採用しました。最新の技術を使って建設された関門橋は、我が国の架橋技術の進展に大いに寄与しました。そして後に建設された瀬戸大橋や明石海峡大橋にもその技術は受け継がれました。日本の長大橋建設は、戦後の資材不足の中で建設された西海橋から始まり、時代背景とともに発展していきました。高度経済成長期で成長した経済力を背景に、建設された関門橋。50年の時を経て、関門橋が残した足跡は大きいものがあります。

関門橋の下を通り抜けるコンテナ船

開通時、人々の関心が高かった関門橋

古来より海上交通の要衝となっている関門海峡は、現在も1日700隻以上の船舶が航行する国際航路として重要な役割を担っています。そのため関門橋は、62mの高さの船舶でも関門海峡を、航行出来るように設計されています。高くて大きな関門橋は、下関、門司の両市街地に跨がる、とても存在感のある橋となりました。開通時は人々の関門橋へ関心は高く、昭和48年11月9日の開通日の式典では、北九州・下関両市をはじめ、国や福岡・山口両県の関係者約1100人が参加しました。テープカットになると国会議員らが、「東洋一の橋のテープを切りたい」と言い出し、予定の3倍の28人が横に並び、テープは細切れになりました。またバス9台を先頭に約600台の車両が続いた渡り初めの大パレードでは、途中で車を降りて景色を楽しむ人が続出し、予定外の歩行者天国となったそうです。橋の下を航行する船舶や関門海峡、下関・門司の市街地の景色は、さぞ心地よいものだったでしょう。

約2万7000トンもある関門橋の橋桁

 

経年劣化により維持管理の補修が増える関門橋

関門橋を管理している西日本高速道路によりますと、1日あたりの交通量は、橋が開通した昭和48年当初の約9800台から約3万5000台と3倍以上も増えています。ますます本州と九州を結ぶ大動脈としての重要度が増している関門橋ですが、経年劣化も進んでおり、平成23年から大規模改修が行われています。保守点検作業は、強風や関門海峡を航行する船舶の安全を考慮して、ドローンを飛ばすようなことはせず、人による近接目視が基本としています。老朽化による補修が増え、直近の10年間にかかった費用は約300億円にも上ります。下関と門司を結ぶもう一つの道路インフラである関門国道トンネルは、関門橋以上に経年劣化が激しく、落下物による通行止めが頻発しています。このような状況を踏まえ現在、下関市と北九州市を結ぶ第3のルートである下関北九州道路と呼ばれる橋の建設が計画されています。

 

重要な交通インフラを担い続ける巨大な関門橋

関門自動車道の一部である関門橋は、自動車を使うとわずか4分ほどで渡り終える直線橋です。しかし世界有数の航行の難所である関門海峡を行き交う船舶や下関・門司の両市街地、遠くに見える北九州工業地帯など見所はたくさんあります。関門橋のすぐそばには、このような風景を眺めることのできる「めかりサービスエリア(上り線)」と「壇之浦サービスエリア(下り線)」がありますので立ち寄ってみるのもよいでしょう。古来より海上交通の要衝、そして歴史の表舞台にもなった関門海峡。そんな関門海峡にそびえるように立つ関門橋は、我が国の発展が交通に及ぼした象徴として、歴史的意義のある建造物と言ってよいのではないでしょうか。関門橋を管理する西日本高速道路の加治九州支社長は、「次の50年、さらにその先も長期にわたり橋の維持管理をしながら重要なインフラを支えるのが使命だ」と話しています。関門橋には、延命措置を施しながら、末永く重要な道路インフラとしてその役割を担ってほしいものです。皆さんも関門橋を訪れてみてはいかがでしょうか。

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