急斜面の山間に展開する陶芸の里中尾山
長崎県波佐見町にある中尾山は、波佐見焼の窯元が数多く集まっている陶芸の里です。中央部に中尾川が貫流しており、東西に丘陵が広がる谷地形になっている中尾山は、急斜面の山間に20軒ほどの窯元やその直営店がひしめくように建っています。秘陶の里とも呼ばれる中尾山は、斜面に沿って出来た集落で、山の緑や煉瓦造りの煙突、窯元ならではの路地裏などの昔ながらの風景が広がり、訪れた人を陶芸の里の情緒へ誘います。今回は、中尾山で生産される波佐見焼の歴史や、中尾山に残されている巨大登り窯について触れ、陶芸の里としての中尾山の魅力に迫っていきます。
陶石のある波佐見で、焼き物の生産始まる
中尾山のある波佐見一帯は、1570年代には、大村氏の領地となり、江戸時代は一貫して大村藩に属しました。1592年から1598年にかけて行われた豊臣秀吉による朝鮮出兵である「文禄・慶長の役」では、各地の大名が焼き物の高い技術得るためにたくさんの朝鮮陶工たちを日本の自分たちの領地へ連行します。大村氏も例外でなく、連れてきた朝鮮陶工を大村氏の領地で、原料となる陶石のあった波佐見に居住させました。そして登り窯を築き、1599年から波佐見焼の生産を始めました。その後、近隣の佐賀鍋島藩が芸術性の高い伊万里・有田焼の生産を始め、世間の脚光を浴びるようになると、伊万里・有田と距離が近い波佐見は、陶器生産から磁器生産に軸足を移し、伊万里・有田焼として多くの磁器を生産するようになります。
伊万里・有田焼とともに発展していった波佐見焼
伊万里・有田焼の一翼を担うように磁器生産を始めた波佐見焼は、庶民の生活に寄り添うような磁器を生み出していきました。波佐見焼は、華やかな色彩で多様な美を生み出していった伊万里・有田焼とは対照的ですが、それぞれの長所を補完しあうウインウインの関係で、伊万里・有田焼とともに発展していきました。そして1644年には増加の一途を辿る波佐見での磁器生産に対応するため、中尾山での窯業が開始されます。中尾山には原料となる陶石が採掘できる白岳山があり、登り窯に必要な斜面もたくさんあるため、磁器の大量生産に適した土地でした。巨大な登り窯が造られ、磁器生産の各工程を担当する職人や窯元が中尾山に集まり、分業による効率的な生産方式が確立します。中尾山は江戸時代に日本国内外に広まった伊万里・有田焼ブランドを、量的側面で支えたと言っても過言ではないでしょう。
磁器の大量生産とコストダウンを実現した巨大な登り窯
現在の波佐見町内には、かつての磁器の大量生産を可能にさせた巨大な登り窯の跡が残っています。しかも現在確認されているものの中で、規模の大きさで世界第1位から第3位までの登り窯が、波佐見町にあります。そして世界最大の「大新登り窯跡」と第2位の「中尾上登り窯跡」は、かつての一大生産拠点であった中尾山の登り窯です。大新登り窯は全長約170m、中尾上登り窯は全長160mあり、いずれも磁器の大量生産と生産コストダウンに特化した大きな登り窯です。陶石の採掘できる白岳山麓にあり白岳窯とも称される中尾上登り窯跡は、肥前波佐見陶磁器窯跡として復元され、国の史跡になっています。緩やかな傾斜に沿って、れんが造りの部屋が階段状に連なっており、当時の庶民の日常生活用の磁器が大量に生産されていた様子を想像することができます。
波佐見焼のアイデンティティーを発信する中尾山
明治時代になってからも、波佐見焼は鉄道の発達により出荷駅のある有田から有田焼として出荷し、有田焼の名のもとにその生産を拡大していきました。しかし平成16年頃に起こった産地偽装問題をきっかけに厳密な生産地表記が必要となり、有田焼と名乗れなくなります。「波佐見焼」というブランドで日本国内外の市場に売り込まなければならなくなりました。そのために必要だったのは、波佐見焼のアイデンティティーを波佐見町全体で共有することでした。波佐見焼のアイデンティティーを歴史から探っていくとするならば、庶民が日常生活に使う磁器を生産し、江戸時代後期には生産量日本一を誇っていたこと。そして江戸時代の波佐見焼の約半分の生産を担っていた中尾山は、波佐見のみならず昔の日本の日常生活用の磁器生産をけん引してきた歴史があることなどが挙げられます。こうして波佐見焼は、中尾山などのアイデンティティーを発信できる施設整備を以前よりも増して取り組むようになりました。
波佐見焼の素顔に出会える陶芸の里中尾山
長くうねった坂道や道沿いの塀にある地元の窯元たちが協力して作った焼き物の装飾、江戸時代の磁器の大量生産を可能にした世界最大級の登り窯跡、煉瓦造りの煙突、路地裏、どこか気持ちの和むような風景が広がる中尾山。自動車がないと行き来が不便な山の斜面に展開する陶芸の里は、それがかえって幸いし、培ってきた歴史風土を今に伝えています。中尾山は現在でも、各工程を担当する職人や窯元が集まる効率の良い生産方式を維持しており、昭和の佇まいがする集落の中にも、大量の素焼き状態の磁器が並んでいたりして、活況な生産の様子を伺うことができます。波佐見焼は、いまも日本国内の日常和食器のシェア約16%を占め、全国第3位の出荷額を誇っています。そんな波佐見焼の素顔に出会いながら、窯元や店舗で焼き物に触れることのできる陶芸の里、それが中尾山です。皆さんも中尾山に訪れてみて、波佐見焼の魅力を感じてみてはいかがでしょうか。
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