表情に富んだ風景が水墨画の世界のように見える池泉回遊式庭園がある毛利隆元の菩提寺、大内氏の庇護のもと雪舟が造ったといわれる雪舟庭がある常栄寺

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山口市

 

大内氏の時代に造られた雪舟庭がある毛利隆元の菩提寺

山口県山口市にある常栄寺は、今から約500年前に室町時代後期の守護大名の大内政弘が、画僧雪舟に築庭させたと伝えられる雪舟庭のある臨済宗東福寺派の寺です。雪舟は大内政弘の庇護を受け、山口に居住していた時期がありました。雪舟庭は、雪舟の思い描いていた世界を表現した芸術性の高い庭園です。大内氏は滅亡してしまいますが、その後に山口を領有した毛利氏によって、雪舟庭は守られました。そして幕末には、毛利隆元の菩提寺となる常栄寺の庭園となります。今回は雪舟庭に深く関わった大内氏と築庭したとされる雪舟、後に常栄寺にした毛利氏の歴史に触れながら、常栄寺の雪舟庭の魅力に迫っていきます。

場所によって違う味わいをみせる雪舟庭

「西の京」と呼ばれた大内氏時代の山口

雪舟に雪舟庭を築庭させたといわれる大内政弘は、山口を拠点に、西日本で一大勢力を築いた大内氏の当主でした。1467年に起きた応仁の乱では山名宗全に味方して、西軍の将として出陣します。応仁の乱は決着が付かず大内政弘は幕府と和解して山口へ帰ります。大内氏は、中国・朝鮮との貿易で莫大な富を得て、山口は大いに繁栄していました。京都への憧れを持っていた大内政弘は、京都の文化を取り入れることに熱意を注ぎ、京都をそっくり写すかのような国作りを展開します。応仁の乱で、幕府の権威が失墜し、京都は焼け野原となってしまいました。そのため京都にいた公家、文人、僧侶などの多くは、大内氏の本拠地である山口を訪ねるようになります。こうして大内政弘は、文化の担い手となる文化人を受け入れ、山口は「西の京」と呼ばれるほど、文化都市として栄えました。

大正時代の火災による焼失から見事に復元された境内

大内政弘の別邸に造られた雪舟庭

画僧の雪舟は、応仁の乱の前に山口に移った人物で、戦国時代に栄えた文化都市山口の先駆けを担った文化人でもあります。雪舟はかねてから画を学ぶために中国へ渡航することを望んでおり、貿易を通じて中国との交流がある大内氏に頼りました。こうして中国の明へ渡る約12年間を山口で過ごしました。雪舟は大内氏の支援の下で技術を磨き、山水長巻などの水墨画の名作を世に出しています。そして雪舟庭もこの時期に築庭されました。大内政弘は風雅を好む人物で、雪舟に命じて自らの別邸に麗しい庭園を造ったとされています。雪舟庭は東、西、北の三方を山に囲まれた自然の地形を生かして造られており、禅の心が溢れた日本庭園として大正15年に国の史跡・名勝に指定されました。

自然との融合で豊かな味わいをみせる雪舟庭

丘陵などの地形を生かし、石をふんだんに配置した雪舟庭

雪舟庭の北側には小高い丘陵があり、庭の池の水源となる滝があります。滝の石組みは立派で室町時代の特色が良く出てます。中央に心字池を配置した池泉回遊式庭園となっている雪舟庭は、様々な方向から豊かな風景を感じとれるように造られました。池には四仙島と称される四つの島が浮かび、東側の池畔には仏石と呼ばれる霊像石と投形石を組み合わせた大石があり、北西側には十六羅漢と名付けられている岩組や坐禅石と呼ばれる石があります。雪舟庭に使用されている石材は輝石と呼ばれるこの辺りの山から採れるもので、室町時代の特色である立石として、ふんだんに配置されました。現在の常栄寺本堂から雪舟庭を眺めると、中央に富嶽と称する石を起き、前方には中国大陸の三山五嶽になぞられた石組みがあります。雪舟が中国大陸の風景から得た構想と伝えられています。

常栄寺の南溟庭

江戸時代、毛利氏によって守られた雪舟庭

雪舟庭が造られた大内政弘の別荘は、後に母の菩提を弔う「妙喜寺」となります。栄華を誇った大内氏でしたが、家臣の陶氏の謀反で滅びてしまいます。大内氏滅亡後は、江戸時代に山口を領有した毛利氏によって庇護され、雪舟庭は大内氏の栄華を後世に伝える文化財として残りました。毛利氏は関ヶ原の戦いで敗戦し、本拠地であった安芸国の吉田郡山城は、没収されてしまいました。そのため、毛利氏は毛利隆元夫人の菩提寺を山口にある「妙喜寺」に移し、寺名を「妙寿寺」に改めました。さらに幕末になると毛利隆元の菩提寺が「妙寿寺」に移り「常栄寺」となります。常栄寺は毛利元就が若くして亡くなった嫡男の毛利隆元の菩提を弔うために、創建された由緒を持っていました。大正15年の火災でお寺のほとんどが焼失してしまいましたが、その後約40年もの歳月を費やした再建整備が施され、現在では大内、毛利両氏の治世を偲ぶ仏教寺院となっています。

 

それぞれが素晴らしい味わいをみせる常栄寺

大内氏の庇護のもと、中国に渡り水墨画を学び、日本独自の水墨画を確立した画僧の雪舟。池泉回遊式庭園である雪舟庭は、その名の通り遊歩道が整備されていて、池を中心とした庭園を一周出きるのです が、表情に富んだ風景を見ていると、雪舟の水墨画の世界が見えたような気がして、なんとなく雪舟の描いた世界に引き込まれたようになります。常栄寺の本堂の入り口付近にある南溟庭は、昭和43年に常栄寺20世である安田天山大老師が、作庭家の重森三玲に命じて造らせた枯山水の庭園です。安田天山は重森三玲に、「雪舟より下手な庭を上手に作ってほしい」と頼んだそうです。日本庭園史の研究家としても名高い重森三玲は、雪舟が中国の明王朝から帰国まで渡った大海をイメージして南溟庭を造りました。春は山門の桜、夏は涼を奏でる庭園の自然、秋は紅葉、冬は三方の山林を覆う雪が四季の移ろいを見せる常栄寺。雪舟が造ったとされる庭園や大内氏と毛利氏の歴史を受け継いだ常栄寺は、様々な側面を持ち、それぞれが相互作用して、素晴らしい味わいを出しているお寺です。皆さんも常栄寺を訪れてみてはいかがでしょうか。

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