江戸時代初期の国際貿易港平戸に築かれたオランダの貿易拠点、当時の平戸の人々を驚かせた巨大な建物が日蘭交流の発展を象徴した平戸オランダ商館

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オランダ

貴重な文化的復元建物となった平戸オランダ商館

長崎県平戸市にあるオランダ商館は、東アジアにおけるオランダの貿易拠点として1609年に建てられた商館を復元したものです。1641年に幕府の命令で取り壊された以降は、船乗りたちの居住地となったりして井戸などの平戸オランダ商館の一部施設は利用されることで残りました。大正11年には平戸和蘭商館跡として国史跡の指定を受け、平成23年には1640年当時の平戸オランダ商館を復元しました。復元には官民一体となって取り組み、国際交流や各種イベントなど多くの人々との関わりによって実現しました。文化庁をはじめ、多くの専門家を招き歴史学的、建築学的なアプローチを繰り返しながら復元作業を進めた平戸オランダ商館は、文化的にも貴重な復元建物となりました。今回は平戸におけるオランダ貿易の歴史に触れながら平戸オランダ商館の魅力に迫っていきます。

平戸港の出入り口付近に立地する平戸オランダ商館

日本の代表的な国際貿易港として繁栄した平戸

平戸は古代より対外貿易の盛んな地域で、貿易に携わった商人や中国人が多数居住し、賑わいを見せていました。江戸時代初期にはこの地を治めていた松浦氏が東インド会社の誘致に成功し、平戸港に入港しているイギリスとオランダの商館を開設します。イギリス商館はオランダ商館との競争などで対日貿易が伸び悩み、1623年に閉鎖されましたが、オランダとの対日貿易は年を追うごとに拡大していきました。平戸オランダ商館は土蔵付き民家を借りて始まりましたが、取扱い商品の増加に伴い、周囲の民家を取り壊して貿易の積み荷を保管する倉庫が増設されていき、本館をはじめ宿泊所、調理場などが整備されました。こうして平戸は朝鮮半島や中国との交易に加えオランダ貿易も盛んになり、日本の代表的な国際貿易港として繁栄します。

オランダ商館跡にあるオランダ井戸

異国人と住民との交流があった平戸での貿易

室町時代末期から1641年にオランダ商館が長崎出島に移転されるまでの約100年間は、明代の中国人をはじめとしてポルトガル人、スペイン人、イギリス人、オランダ人、そして現在の東南アジアの人々が平戸に居住し、貿易を行いました。平戸に居住した異国人は、後の時代で中心的な対外貿易を担った出島と違って比較的自由な雰囲気の中で、日常的に住民との交流がありました。そんな草の根の国際交流が発展していった平戸でしたが、1637年に起こった島原の乱を契機に暗雲が垂れ込めていきます。幕府は多くの西洋人が居住する平戸にもキリシタンの騒乱が起こるのではないかという危機感を強めます。また海外貿易の莫大な利益を平戸が得ていることに、幕府が好ましく思わなかったことも加わり、1641年に貿易港を幕府直轄地の長崎に限定する政策をとりました。平戸に居住していた異国人は退去を余儀なくされ、国際貿易都市としての平戸は、歴史の表舞台から消えることになります。

オランダ商館内の展示物

膨大な量の商品を保管した巨大な1639年築造倉庫

国指定史跡「平戸和蘭商館跡」には、当時を偲ばせる多くの遺構や史跡が残されています。そんな史跡内にある「1639年築造倉庫」は、文化財として価値のある復元を目指して建てられた建物です。開設当初の平戸オランダ商館は、それほど多くの利益があったわけではありませんが、江戸幕府が徐々に鎖国政策を強めていく1630年後半から貿易額が、急激に増大していきました。この貿易拡大に伴う膨大な量の商品を保管するために建設された大型倉庫が「1639年築造倉庫」になります。江戸時代前期の日本では、比類なき倉庫であり、「巨大な洋風石造りの外観は当時の日本人の目に、かなり奇異に写った。」と文献などに書かれています。

オランダ商館跡から対岸の平戸城を望む

復元された平戸オランダ商館の1639年築造倉庫

「1639年築造倉庫」は、1641年までの短い期間の使用に終りましたが、建物に関わる史料が豊富で、平戸オランダ商館の中でもその実態が最も明らかになっている建物でした。平戸市教育委員会は、商館跡の復元整備を目的に「1639年築造倉庫」の発掘を進めていき、2002年にその全容が明らかになります。こうして史料や発掘調査の成果を考証しながら進められた復元工事は、平成23年に完成しました。現在は平戸オランダ商館として、昔の絵画をもとにした復元模型や、当時の貿易品、平戸の対外貿易に関する史料を展示しています。江戸時代前期の旺盛なオランダ貿易を象徴する「1639年築造倉庫」が復元されたことで、現代を生きる我々にも当時の様子を容易に推察することができるようになりました。

 

江戸時代の日蘭の交流と貿易の礎を築いた平戸オランダ商館

古来よりたくさんの外国人と交流し、舶来の物品をはじめ、多くの文化や技術が伝来した港町平戸。しかし江戸時代になると幕府の鎖国政策で以前から行われてきた自由な貿易が制約されていきます。そして、幕府が貿易相手を中国とオランダに絞っていくようになると平戸でのオランダ貿易が飛躍的に増えます。東アジアに展開する数ある商館の中でも最大の利益を上げた平戸オランダ商館は、東アジアにおけるオランダ貿易の拠点となり、日蘭交流の発信地にもなりました。1941年に貿易港が長崎に移り、平戸オランダ商館は閉鎖されましたが、江戸時代初期の代表的な国際貿易港として栄えた平戸港と、江戸時代の日蘭貿易の基礎を築いた平戸オランダ商館の歴史的意義は、とても大きなものがあります。皆さんも平戸オランダ商館を訪れてみて、当時の様子に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

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