江戸時代に創建されて以来長崎の産土神として街の発展を見守ってきた諏訪神社、絢爛豪華な演し物が人々を魅了する諏訪神社の秋季大祭「長崎くんち」

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祭り

 

長崎が繁栄した頃を象徴する諏訪神社と長崎くんち

長崎県長崎市にある諏訪神社は、江戸時代に創建された多くの人々から親しまれている神社です。長崎の町は、江戸時代に長崎奉行の支配のもとで、諸外国との貿易が行われ、大いに繁栄しました。そして住居や店舗、橋などのインフラ、神社仏閣などの空前の建設ラッシュに湧いた時代でもあります。諏訪神社は、そんな繁栄した時代を象徴する史跡でもあるといえます。また、毎年10月7〜9日に行われる諏訪神社の秋季大祭「長崎くんち」は、長崎県内外から多くの人々 が見物に来る絢爛豪華でエキゾチックなお祭りです。江戸時代から続く380年以上の伝統がある祭で、奉納踊りは、国の重要無形文化財に指定されています。今回は、諏訪神社と諏訪神社の祭である長崎くんちの歴史に触れ、その魅力に迫っていきます。

諏訪神社の長坂

長崎の神道を再興する目的で創建された諏訪神社

諏訪神社は、江戸時代初期の1625年に修験道を修めていた肥前唐津の青木賢清が、長崎奉行の長谷川権六の支援を受けて創建しました。戦国時代の長崎はキリシタン大名の有馬氏が支配し、その後もイエズス会の教会領となるなどキリスト教の勢力が強大でした。そのようなこともあって長崎の神社仏閣は破壊され、荒廃していました。やがて江戸時代になると、青木賢清がこのような神社の荒廃ぶりを憂い、神社の再建を目指します。諏訪神社は、かつて長崎に祀られていた諏訪・森崎・住吉の神々を合祀し創建された神社です。諏訪神社は、江戸時代にキリスト教勢力が後退した長崎の地に、神道を再興する目的で創建したという側面があります。長崎の神道再興の旗頭の役割を担った諏訪神社は、現在でも地元の産土神(うぶすながみ)として、長崎の人々から親しまれています。

 

長崎奉行の援助もあり盛大なものになっていった長崎くんち

1632年に諏訪神社を創建した青木賢清が宮司となり、1634年には当時の太夫町(現在の丸山町、寄合町)の遊女の高尾と音羽の二人が、諏訪神社前に謡曲「小舞」を奉納しました。この舞いを奉納したことが長崎くんちの始まりとされており、その後長崎奉行の援助もあって年々盛大なものになっていきます。さらに奉納踊りには、異国趣味なものを多く取り入れながら長崎くんちを形作っていきました。現在の長崎くんちには、龍踊、唐人船、オランダ船、コッコデショなどの演し物(だしもの)があります。踊りを奉納する町を踊町といい、長崎市内に58ヵ町あります。7つの組に区分され、7年に一度、奉納踊りを出す当番が回るようになっています。

諏訪神社の一の鳥居

国際都市・長崎と共に歴史を歩んだ諏訪神社と長崎くんち

勇壮華麗な演し物にアンコールを意味する「もってこーい」の掛け声が響き、観客の熱気も最高潮に達する長崎くんち。長崎くんちが始まったとされる1634年は、オランダ貿易の拠点となる出島の工事が着工され、日本初の石造アーチ橋である眼鏡橋が架けられた年でした。長崎が江戸幕府の貿易拠点として、大きく動き出した象徴的な年であったともいえます。江戸幕府は諏訪神社の創建に多額の援助を行い、鎮西無比の荘厳な社殿が造営されました。日本を代表する国際都市として大きく生まれ変わろうとしていた頃に、創建された諏訪神社と始まった長崎くんちは、長崎の新しい時代の象徴であり、江戸時代以降は、長崎と共に歴史を歩んでいきました。

長崎公園の噴水

異国情緒あふれる長崎にある純和風建築の社殿を有する諏訪神社

諏訪神社は幕末の1857年に火災に遭い、社殿のほとんどを焼失してしまいましたが、孝明天皇の思し召しにより、明治2年に立派な社殿が再建されました。昭和20年の長崎市への原爆投下では、近くの標高約400mの金刀比羅山が爆心地からの熱線や爆風を弱める役割を担い、倒壊を免れました。そして昭和59年の御鎮座360年祭、平成6年の370年祭を記念して二度の造営を行い、現在の社殿の形となっています。諏訪神社の社殿は異国情緒あふれる長崎においては珍しい純和風建築で、神道の再興をかけて創建された産土神らしい佇まいを見せています。また、国際都市長崎の神社らしく大正3年には日本初となる「英文みくじ」を設置しています。諏訪神社の境内と隣接している長崎公園は、明治6年の太政官布告により制定された長崎県最古の公園で、日本最古といわれる装飾用噴水があります。噴水のある池には鯉や亀などがいて、訪れる人々を和ませています。

長崎を代表する神社として、大きな役割を担った諏訪神社

江戸時代に三つの神社を合祀して始まった諏訪神社。諏訪神社は厄除け、森崎大権現は縁結び、住吉大明神は海上安全と大漁満足といったご利益があるとされています。諏訪神社の参道には、193段の石段がありその内、神社の楼門から続く70段あまりの石段は、「長坂」と呼ばれます。この「長坂」は長崎くんちが催される時には、奉納踊りが行われ、大勢の見物客で賑わいます。長坂での奉納踊りは、他の長崎くんちの会場とは違って有料の桟敷席がなく、見物客は石段に座って踊りを見物します。石段から見える長崎の街を見ながらのくんち見物は、格別の素晴らしさがあります。江戸幕府は、長崎を訪れる外国人に向けて日本を誇示するために能を保護しました。そして幕府の援助もあって、最盛期には30名にも及ぶ能役者が、諏訪神社に能を奉納しました。このような出来事が長崎くんちの絢爛豪華さに影響を与えたのは言うまでもありません。諸外国との交流の窓口であった長崎において、諏訪神社の果たした役割は大きなものがありました。皆さんも諏訪神社を訪れてみて、国際都市長崎の魅力を発見してみてはいかがでしょうか。

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