架橋は島民の悲願、呼子のランドマークとして実を結ぶ呼子大橋

スポンサーリンク
佐賀県



 

供用以来、大活躍している呼子大橋

佐賀県唐津市呼子町にある呼子大橋は、九州本土と加部島を結ぶ海上橋です。ハープのような端正な外観の呼子大橋は全長728mもある大きな橋で、呼子のランドマークとして、多くの人々から親しみをもたれています。また海に沈む夕日を背景にした橋のシルエットは美しく、「新さが百景」第一位にも選出されました。平成元年の供用開始以来、加部島へのライフライン、そして呼子観光のけん引役として大いに活躍している呼子大橋。今回は、橋の開通時にブレイクした呼子のいかや、橋の全貌がよく見える「風の見える丘公園」について触れ、呼子大橋の全体像について迫っていきます。

加部島の耕作地

加部島の農業や島民の生活の向上に大きく寄与する呼子大橋

呼子大橋は九州本土から佐賀県北西部の玄界灘に浮かぶ加部島への、ライフラインを設置する目的で建設されました。橋の架橋によって道路、上下水道や農業用水のパイプライン、電気ケーブルが結ばれます。架橋以前は農業用水を比較的必要としない甘夏や葉タバコの栽培が主力でしたが、パイプラインの設置で、水の供給能力がアップしたことにより玉ねぎやイチゴを栽培する農家が増えました。道路ができたことで、人や車の往来がしやすくなり、加部島の生活環境が改善されました。当時の区長が橋が必要であることを国会議員らに陳情し続け建設が決定し、総工費約42億円、7年の工期を費やして完成した呼子大橋は、橋の供用開始によって、加部島の農業や島民の生活改善に大きく寄与することになりました。

呼子のいかと共に呼子観光のけん引役へ

加部島のインフラ整備に大きく貢献した呼子大橋。呼子大橋が完成した平成元年ごろは、呼子のいかが、ブランド化に成功し始めたころでもありました。呼子のいかは、昭和36年にいけす料理屋の河太郎が、鮮度のよい活きのあるいかを客に提供したのが始まりです。その後も呼子の各料理屋や旅館などの宿泊施設は、いか料理の試行錯誤を重ね、設備投資と人材育成をはかりました。こうした努力が、人々の評判を生み、いか料理を食べるために呼子を訪れる観光客も増えていきました。そして呼子大橋が完成すると、風光明媚な橋周辺にたくさんのいか料理を提供する店舗が建設され、呼子への観光客が急増しました。また、呼子名物のいかしゅうまいを大量生産できる工場が完成したり、加部島の甘夏ゼリーの商品開発が始まったりしました。呼子大橋は、呼子地域の観光振興の起爆剤となったのです。波戸岬などの既存の観光地に加え、いか料理と呼子大橋が新しい呼子観光のけん引役に加わることで、呼子地域は、観光客の大幅増加に成功しました。

風の見える丘公園から見る呼子大橋

加部島にある風のみえる公園

呼子大橋は、プレストレスコンクリートを用いた斜張橋としては、日本最大規模を誇ります。楽器のハープを2つ並べたような美しいフォルムからハープ橋とも呼ばれており、緩くカーブした橋を渡りながらその全景を眺めることができます。加部島にある「風の見える公園」の展望台は、小高い丘の上にあり、呼子大橋の全貌を、見ることができます。橋から約45度の角度で見る呼子大橋は、斜張橋の線一本一本がよく見え、大きく迫力があります。呼子大橋の他にも呼子港、波戸岬、玄海原発、玄界灘などをぐるりと見渡せる展望台を加部島側に目をやると、畑などの農耕地や、加部島名物の甘夏のみかん畑があります。公園周辺には、甘夏の収穫時期には甘夏、甘夏ソフトクリームや甘夏ゼリーを販売している店舗があります。呼子大橋の完成をきっかけにはじまった甘夏の商品開発は、呼子夢甘夏ゼリーを生み出しました。呼子甘夏ゼリーは、魅力的なデザートとして多くの人々の支持を得ている人気商品になりました。皆さんも呼子大橋を訪れた際は、風の見える丘で、橋や呼子周辺の景観を堪能し、これらの甘夏商品を購入して試してみるのもいかがでしょうか。

弁天島と呼子大橋

呼子大橋の下にある弁天島

呼子大橋の下には、男島と女島が並ぶ弁天島があります。この弁天島へは全長220mの遊歩道が整備されており、朱色の遊歩道の欄干と、限りなく透明な呼子の海が鮮やかなコントラストになっています。弁天島は、豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に舟遊びをした場所として知られた名所で、磯遊び、魚釣り、潮干狩りなどが楽しめる場所です。島には弁財天を祀った弁天神社や、観音菩薩、船地蔵尊の石像があります。また呼子岩脈大群に属する弁天島は、堆積して出来た岩に溶岩が貫入して出来た場所で、いろんな岩肌をみることが出来ます。美しい景観、珍しい地質に感心して見上げると、はるか上に高さ27mの呼子大橋の橋梁があります。弁天神社と重ならずに曲線を描いて造られた呼子大橋は、周辺の空や海と調和した美しい造形をしています。

島民の悲願により架けられた橋が、もたらしたもの

九州本土との交通は定期船に頼らざるを得ず、農業用水が乏しく農業が制約されていた加部島。そんな問題を解決するために建設された呼子大橋は、島民の悲願の橋でした。呼子大橋の開通式典には、加部島特産の甘夏を載せたトラックに島民が乗り、橋を渡りました。佐賀牛を積んだトラックや耕運機もパレードし、橋の開通を祝いました。橋の供用以後、加部島の農業発展や島民の生活改善のみならず、呼子地域が一大観光地になることのけん引役となった呼子大橋。休日にはたくさんの観光客が訪れ、呼子大橋周辺は賑わいを見せています。皆さんも呼子大橋を訪れてみて、風光明媚な景観や、地元の海産物や農産物を味わいながら、呼子大橋がもたらしたものを検証してみてはいかがでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました