景観の美しい仮屋湾に浮かぶ小島にある鎮守の森、人々の厚い信仰が輝く三島神社

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三島公園

小さな島にある大きな鎮守

佐賀県西松浦郡玄海町にある三島神社は、海岸線の美しい仮屋湾の湾奥部に位置する小さな小島にある神社です。その小島は、三島と呼ばれ三島神社の名前の由来となっています。そのため、伊予の大山祇神社を総本社として全国各地にある三島神社とは違い、天忍穂耳尊を主祭神としています。10メートルほどの橋で玄海町の本土側と結ばれており、橋を使って自由に行き来できるこの小島は、三島神社をはじめ、温泉やレストランのある保養施設があります。そして玄海国定公園の一角としてたくさんの樹木が植えられ、整備された三島公園が島の大部分を占めます。小さな島の小さな神社ですが、集落の人々が神社創建以来守り続けてきたこの地域の大きな鎮守です。今回は三島神社について調べ、仮屋湾や神社と地元の人々の関わりについても触れていきます。

室町時代からの歴史がある三島神社

三島神社は室町時代の1440年に、玄海町内に現在もある値賀神社の御分霊を勧進して創建されました。主祭神は天照大神の子であり、神武天皇の高祖父にあたる天忍穂耳尊です。その他にも伊邪那岐尊、伊邪那美尊、須佐之男尊と古事記に登場する神々と学問の神様菅原道真が祀られています。三島神社は創建以来、漁民・農民の区別なく周辺の集落の住民たちの信仰をあつめ、航海安全、五穀豊穣などを祈りました。毎年10月の第4日曜日に開催され、560年余りの歴史を持つ「秋の大祭」は、御座船に乗せた2台の神輿を大漁旗を掲げた船が伴走し、仮屋湾内を巡ります。そして厄入りの男性たちが神輿を担いで御幸所に安置するという勇壮な祭りです。また、地元の小学生が巫女となって奉納する「浦安の舞」もあります。

三島神社の境内

出征兵士の無事を祈る人であふれる三島神社

明治時代から日本は富国強兵政策のもと徴兵制をとり、徴兵された日本国民は、外国との戦争に兵士として出征しなければなりませんでした。三島神社の氏子たちは、家族が出征すると、毎朝三島神社で出征した家族の無事を祈願するようになります。明治40年に初期に正殿と拝殿を改築し、昭和3年には正殿の屋根を銅板葺に張り替えました。熱心に祈る氏子たちの姿もあってか、三島神社の氏子の戦死者が少ないとの話が広がるほどでした。そして太平洋戦争の戦況が悪化し、戦死者が増えていった昭和18年には、近隣住民だけでなく、近隣市町村からも出征兵士の武運長久、無事帰還を願う参拝者であふれため、拝殿を増改築して日夜祈願祭につとめました。

仮屋湾内の漁船係留施設

漁業の盛んな仮屋湾

三島神社の四方を囲んでいる仮屋湾は、豊かな漁場の玄海灘を外海に面しており、漁業が盛んな仮屋漁港を有しています。波風が荒れない仮屋湾一帯は、天然の良港として古代より漁業が行われてきました。昭和9年に近くの大鶴炭鉱での採掘が始まると、石炭積出港として賑わいましたが、昭和32年の炭鉱閉山で、その役割は失われました。炭鉱閉山後は、再び漁業がメインとなり、海女漁や一本釣り漁、小型定置網漁といった漁獲漁業が行われています。また、仮屋湾は波が穏やかであることから、魚類や貝類の養殖も盛んです。真鯛やハマチ、真珠の養殖に力を入れています。特に真鯛は九州有数の生産量を誇り、日本全国へ出荷しています。仮屋湾をはじめ玄界灘に面する玄海町は、新鮮な海の幸に恵まれており、三島神社に隣接する温泉施設パレアや民宿、食堂などで新鮮な魚介類を味わうことができます。

三島公園にある眺めが絶妙なビュースポット

絶妙なビューポイントのある自然豊かな三島公園

三島公園は、三島神社の裏山にあたる場所にあたる自然豊かな公園です。玄海町が自然との共存を目指し、景観や環境を壊さないように注意を払いながら整備した自然公園です。小さな島にある公園でありながら、1万本近くの樹木や草木が植栽され、四季折々に様々な表情を見せます。公園内の遊歩道には、屋根付きの休憩所や、アスレチック、展望台があります。中でも遊歩道をほどよく登った展望地点は、仮屋湾の風景を一望に収めとることができます。岩の上からの眺めになるため足場は良くありませんが、美しい仮屋湾と、岩場と公園の緑あふれる絶妙なビューポイントとなっています。潮風と、森林浴を浴びながら徒歩約1時間で一周できる遊歩道は、心身ともにリフレッシュできます。

古き良き三島神社の伝統

三島神社の参道は島の船着き場からの道もあり、船から上陸して参拝することができます。景観の美しい仮屋湾を背にして、深い緑に包まれた階段を登っていくと手入れの行きいた雰囲気の良い本殿があります。三島神社のご祭神である天忍穂耳尊は、英彦山神宮のご祭神です。天忍穂耳尊が英彦山に降臨したことを表現するには、このような小高い場所が良いと判断されたのかもしれません。三島神社の創建には英彦山の修験者が立ち会ったのかも知れません。当時の文献がないので想像の域を脱するとは出来ませんが、当時の人々が強いメッセージ性を持って創建したのではないかと感じとるものがあります。そして、祭などを通して地元の方々の信仰と、文化の継承は現在も続いています。皆さんも三島神社を訪れて仮屋湾の美しい自然と新鮮な魚介類に舌鼓をうちながら、古き良き三島神社の伝統をこの目で確かめて見るのはいかがでしょうか。

 

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