太古の昔より人々が航海の安全を祈った海上守護神、加部島の自然と一体となった歴史的由緒のある田島神社

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佐賀県

古代から人々の信仰を集めてきた海上守護の神を祀る田島神社

佐賀県唐津市呼子町の加部島にある田島神社は、日本神話に出てくる田心姫尊、市杵島姫尊、湍津姫尊の三柱の姫神を主祭神としてお祀りした神社です。田島神社の創建の年代は、はっきりと特定することはできませんが、肥前国最古の神社と言われています。奈良時代には、朝廷から大伴古麻呂が派遣され、田島大明神の御神号が送られました。そして平安時代初期には神戸十六戸を充てられ、九州地方の主要な神社としての地位を獲得しました。武士の世になると地元の武士団である松浦党からの信仰を集め、豊臣秀吉から厚い庇護を受けます。江戸時代に入ると唐津城主の祈願所となるなど、歴代の統治者からの庇護・信仰を受けてきた田島神社。海上・交通安全の神として神威のある宗像大社と同じ三女神を祀る田島神社は、古くから玄海の漁師たちの信仰を集め、海上守護の神として広く知られています。今回は古代より多くの人々の信仰を集めてきた田島神社に焦点を当て、時の権力者との関わりについて掘り下げていきます。

神門から漁港を眺める

海上交通の要衝に鎮座する田島神社

田島神社は、日本本土から壱岐、対馬を経由して朝鮮半島に至る海上ルート上にあり、本土側の入り口にあたる加部島に鎮座する神社です。加部島周辺の港は、遣隋使、遣唐使、豊臣秀吉の朝鮮出兵の出発港になっており、歴史的にみても中国大陸と交流する交通の要衝であったことがわかります。古代に大和朝廷の行政機関があった大宰府を中心に海上交通をみると、大宰府の外港であった博多港に行き、そこから目的地へ向けて出港しました。博多港を出港すると、東に宗像大社、西に田島神社があり、三柱の姫神を主祭神とした神社を、博多港を中心に対象に配置していることがわかります。

神門から拝殿(正面)を見る

朝廷や権力者の庇護を受けながら発展してきた田島神社

交通機関が発達した現代と違い、昔の交通は、たくさんの経由地、寄港地を経て目的地に向かう必要がありました。そのため加部島周辺は太古の昔から海上交通の中継地点として重要な役割を担う地域でした。日本書紀や古事記には神功皇后が朝鮮半島に出兵する三韓征伐が伝承されていますが、その三韓征伐の折、神功皇后が奉幣御祈願をしたと伝えられています。文献では、伝承といわれるほど古い昔に、海上・交通安全の神が鎮座する田島神社が創建されたのです。大和朝廷は田島神社を重用することによって大陸との交流を促進していきました。その後も、交易に重きを置いた権力者の庇護や多くの人々の信仰を集めながら、発展していきます。

佐賀県最古の頼光鳥居

佐賀県最古の鳥居、頼光鳥居

平安中期に清和源氏の棟梁として、勢力を拡大しつつあった武将の源満仲は、田島神社を厚く信仰し、領地を寄進しました。源光仲の子源頼光は、社殿を造営し鳥居一基を奉献しました。その時の鳥居として境内に「頼光鳥居」があります。後の世に松浦党の波多氏によって修復されてはいますが、佐賀県内でも最古の鳥居として本殿の階段入口に堂々とした貫禄ある佇まいを見せています。鎌倉、室町時代は田島神社のある地域一帯を支配した波多氏によって領地の寄進や社殿の造営を受けます。そして安土桃山時代には、文禄慶長の役で田島神社の近くにある名護屋城へ豊臣秀吉率いる20万の大軍がやってきます。

社殿裏の山林にある太閤石

豊臣秀吉は名護屋城滞在時、度々田島神社を参拝しています。朝鮮出兵の先陣を切った加藤清正、小西行長が出陣した時には敵国降伏の祈祷を行いました。田島神社の社殿後方に太閤石と呼ばれる二つに割れた石があります。敵国降伏の祈祷後、豊臣秀吉が槍でこの石を突くと鳴動して真っ二つに割れたという伝説が残っています。太閤石のあたりの社殿裏の山林には、巨石や平石があり、太古の昔に祭祀が行われていた場所ではないかとも言われており、豊臣秀吉の伝説も含めて歴史ロマン溢れる場所となっています。

佐用姫神社

田島神社境内にある佐用姫神社

豊臣秀吉は、境内にあった佐用姫伝説にちなんだ御神体が雨ざらしになるのは忍びないとして、加部島の百石の領地を田島神社に寄進します。こうして建てられた佐用姫神社は縁結びの守り神として人々から崇敬されるようになりました。境内に佐用姫神社を創建したことで、田島神社はさらに信仰のすそ野を広げました。江戸時代になると、唐津藩の祈願所となり、安定した時代を迎えます。特に唐津藩の姫君は、お忍びで度々参拝され、良縁の御守りを持ち帰られたそうです。

漁港から田島神社を眺める

自然と一体となった重厚な田島神社

昔の人々は、加部島にある田島神社へ、船に乗って参拝に行きました。海の近くに鎮座する田島神社は、境内にある桟橋から船を降りた参拝客を出迎えるように鳥居が立っており、幅の広い石段が本殿へと伸びています。晴天の空と光る海、小高く登ったところにある古代の風格漂う境内と後背地にある自然豊かな鎮守の森。田島神社には、古き良き日本の風景が残っています。近代になると造船技術が向上し、頻繁に寄港しなくても安全な航海が出来るようになりました。そうなると田島神社のある加部島周辺の寄港地としての重要性が急速に衰えていきます。明治時代になるとかつてのような有名な神社ではなくなっていきましたが、地元の人々や漁業関係者の手によって現在でも大切に守られ、海上交通の守護神らしく重厚な力強い雰囲気を保っています。平成元年には呼子大橋が開通し、九州本土からでも、自動車で行けるようになった田島神社。みなさんも、海風、太陽の光を受けながら、かつての歴史を語っている健康体の神社を訪れてみてはいかがでしょうか。

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