長崎に居留した中国人によって創建された中国風仏教寺院、明朝末期の貴重な文化財が残る崇福寺

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たくさんの文化財を保有する崇福寺

長崎県長崎市にある崇福寺は、江戸時代初期の1929年に建てられた黄檗宗の寺です。明代の戦乱を逃れ、長崎に居留していた華僑が自らの手によって中国様式の菩提寺を創建しました。日本にある中国様式の寺としては最古のものです。1946年に建てられた釈迦如来を祀る「大雄宝殿」と、珍異奇巧を極めている「第一峰門」は、国宝に指定されています。その他にも国指定重要文化財が5つ、県指定有形文化財が4つ、市指定有形文化財が10もあります。殿堂内の仏像仏具は、中国人名匠により作られたもので、日本に居ながらにして明朝末期の文化に触れることが出来ます。今回は、このような文化財の宝庫である崇福寺が出来た歴史的背景を考察し、毎年開催される崇福寺の中国盆や、境内にある中国文化を味わっていきましょう。

本尊の釈迦如来三尊坐像

長崎に次々と中国風の仏教寺院が建てられる

長崎は「福」がつく寺が多く、崇福寺、興福寺、福済寺は「長崎三福寺」と呼ばれます。これらの寺はすべて中国人が江戸時代に創建したものです。中国人が仏教寺院を建てた背景には、江戸幕府のキリスト教の禁教令がありました。中国人達は自分達が仏教徒であることを証明するために、次々と長崎に中国風の仏教寺院を創建しました。崇福寺は長崎に居留していた福建省の華僑の人々が、福建省出身の僧超然を招いて創建した仏教寺院です。僧超然は、63歳と江戸時代の寿命から考えるとかなりの高齢でしたが、福建省の華僑たちが彼ら独自の菩提寺を建てたいという強い願望に動かされ、来日を果たしました。崇福寺は、本堂にお釈迦様を祀る一方、境内に道教の媽祖堂を建てるという中国人の信仰に根差したお寺です。

崇福寺の境内

三門

参道入り口にある三門

崇福寺は境内が山の中腹にあり、長崎市街地から緩やかな参道の階段を登って大雄宝殿に向かうことになります。その参道の入口にあるのが、国の重要指定文化財の三門があります。別名竜宮門とも呼ばれる中国風の濃い建物で、朱色の門でもあることから、崇福寺は長崎の人々から「赤門さん」の名前で親しまれてきました。三門の楼上正面には、隠元禅師の筆で書かれた崇福寺の山号「聖寿山」の横額があり、県の指定有形文化財に指定されています。

第一峰門

複雑巧緻な詰組の第一峰門

崇福寺の三門をくぐり、階段を登ると国宝の第一峰門があります。中国名匠の手によって材を切組み、中国の寧波から唐船数隻に分載させて長崎まで運び、1696年頃に建てられました。軒下にある構造組物に特徴があり、複雑巧緻な詰組がびっしりと組まれています。このような珍しい詰組は、日本国内にはなく、中国華南地方にも稀にしかありません。第一峰門の正面にかかる「第一峰」の額は即非禅師によるもので、県指定有形文化財に指定されています。第一峰門をくぐり、振り返って門を見ると、門の四隅に蝙蝠、中央に白い牡丹が、美しく装飾されています。中国で蝙蝠は、幸運のシンボルであり、牡丹は縁起物です。

大雄宝殿

崇福寺の本堂にあたる大雄宝殿

お釈迦様を祀る大雄宝殿は、崇福寺の本堂にあたり、第一峰門と共に国宝に指定されています。1646年に建てられた長崎市内最古の建築物でもある大雄宝殿は、1681年頃に日本人の棟梁が上層部を付け加えました。そのため下層部は中国伝来の黄檗様式、上層部は和様という珍しい構造となっています。本尊として安置されている釈迦如来三尊坐像は、銀製の五臓、布製の六腑、巻物が三尊の体内に埋め込まれている凝った造りをしています。

媽祖堂

道教の海上守護神を祀る媽祖堂

長崎の中国人の菩提寺には、唐船の航海の安全を祈って、道教の海上守護神である媽祖を祀っています。道教は、台湾・福建省での強い信仰を集めており、福建省の中国人の菩提寺である崇福寺は、創建後間もなく媽祖堂が建てられました。現在の媽祖堂は1794年に建てられたもので、黄檗様式と和様の細部様式が混在しています。福建省出身の中国人たちによって大切に守られてきた媽祖堂は、県指定史跡に指定されています。

大釜

大飢饉の時に使われた大釜

崇福寺の境内に、1681年頃に起こった大飢饉で使われた大釜があります。崇福寺の2代目住職千凱は、飢餓で苦しんでいる庶民に粥を配っていましたが、飢饉はさらに深刻さを増します。そこで、長崎の鍛冶屋町の鋳物師に大釜をつくらせました。この大釜は一度に米4200合を炊き、3000人に施粥したと伝えられています。

崇福寺の中国盆会

崇福寺では、旧暦7月26~28日の3日間に「中国盆会」が 行われ、福建省出身の在日中国人が集まります。日本の盆とは違い、赤いランタンを灯したり、精進料理の他に豚の頭や鶏でつくった料理が並べられたりします。そして3日目の夜には、紙製の中国かばんの中に、紙でつくったいろいろな物が入れられ、冥土の土産として燃やされます。それから旧暦30日には、三門から大雄宝殿までの参道に竹線香を並べる補施が行われ、中国盆に間に合わなかった霊魂を送ります。霊魂を手厚くもてなす中国盆は、中国情緒あふれる行事です。

崇福寺で中国文化に触れてみましょう

長崎は国内の中国人居留地として、横浜・神戸よりも長い歴史があります。明朝の戦乱から、長崎に逃れてきた中国人。崇福寺には福建省の中国人たちに愛されてきた故郷の文化が、たくさん詰まっています。国際取引きで得た莫大な富を得た長崎の中国人は、次々と立派なお寺を建てました。彼らは、異国の地での生きる拠り所を崇福寺のような中国風のお寺に求め、また日本人との接点を見出だしたかったのではないでしょうか。みなさんも崇福寺を訪れてみて、境内の中国文化に触れてみてはいかがでしょうか。

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