古代の国際情勢を鑑みた国防神社、熊本の礎となり熊本の発展と共に歩む健軍神社

スポンサーリンク
健軍神社


熊本市最古の健軍神社

熊本県熊本市東区にある健軍神社は、熊本市最古の神社です。欽明天皇の頃、当時の肥後国司であった藤原法昌が、阿蘇大神荒御霊を祭って健軍神社としたことが、始まりとされています。健軍神社は、阿蘇市の阿蘇神社、宇城市の郡浦神社、甲佐町の甲佐神社と共に阿蘇四社の一つとして知られ、人々の信仰を集めています。約1500年の長い歴史をもち、戦乱による焼失と再建を繰り返した健軍神社。加藤清正や肥後細川藩など、時の熊本の為政者からも厚い信仰がありました。そんな由緒のある健軍神社ついて境内の様子について触れながら、熊本の地に鎮座し、積み重ねていった歴史について迫っていきます。

楼門から見た境内

軍事的な由緒のある健軍神社

健軍神社は主祭神である健磐龍命が、西の外敵から日本を守るために、西の方角を向いて鎮座しています。健軍神社が創建された508年、強い軍事力を持つ新羅が朝鮮半島に勢力を持っており、新羅と敵対している大和朝廷にとって脅威的な存在でした。当時の健軍神社は仮想敵国に対抗する目的で、国内の軍事力を結集する一大軍事拠点のような性格もあったのではないかと考える説もあります。この説が正しいのかそうではないのかはわかりませんが、健軍神社は、軍事的な由緒のある神社であることは間違いありません。健軍神社は、後の世に熊本を統治した天下の名将加藤清正や、武家の名門細川家によって手厚く保護されました。

健軍神社の長い参道、八丁馬場

健軍神社には、長さ1200mもある参道があります。この参道は八丁馬場と呼ばれ、安土桃山時代に、熊本を統治した加藤清正が、馬の調練路として造成した道です。加藤清正は、この道を健軍神社に奉納しました。後に熊本を統治した細川氏も軍馬の調練路として使用しました。古来より戦いの神を祭ってきた健軍神社で、軍馬を調練することは、武門にとって誇らしいものがあったのではないでしょうか。参道には、加藤清正の像があり、植えてある杉や銀杏の一部は加藤清正の時代のものです。熊本の人々から広く慕われている加藤清正を偲ばせるものが、八丁馬場にはあります。

健軍神社の楼門

どの方角から見ても美しい楼門

1200mもある長い参道の先には、立派な佇まいの楼門があります。平成12年に再建された健軍神社の楼門は、高さ13.5m、横幅15.7mあり、天井の絵は細部まで繊細に描かれています。建物は素木造りのため、木の温もりを感じる素朴な感じがします。またどの方角からみても美しく、歴史的由緒ある健軍神社の楼門にふさわしい格式があります。楼門の前に建つ鳥居は、楼門に対して非常に低い造りです。楼門を隠さない配慮から、低い鳥居になったのですが、健軍神社でしか見られない鳥居と楼門を、両方見えるアングルから1枚の写真に収めることが、参拝客の間で人気になっています。

健軍神社の境内

勝運のご利益があるとされる健軍神社

健軍神社の境内には、主祭神である健磐龍命をはじめ、雨宮大神、大物主大神、猿田彦大神、速瓶玉命など、たくさんの神様が鎮座し、雨宮神社や国造神社などの6つの境内社がある神社です。健軍神社は、大和朝廷を外敵から守る軍事目的で創建された神社だけあって、勝運のご利益があるとされています。そのため、神社の長い歴史の中で、戦での勝利を願って参拝する武将や軍人も多くいました。天下の名将加藤清正は、朝鮮出兵の際に参拝しました。現在でも、勝負事の祈願に訪れる人も多いようです。その他にも交通安全、良縁祈願や学業成就にご利益があると言われています。

西南戦争で、熊本隊が健軍神社で挙兵

明治10年の西南戦争では、熊本に攻め上った西郷隆盛率いる薩軍に呼応して熊本隊が健軍神社で挙兵します。2月22日早朝に、健軍神社に集合して会議を開き挙兵が決定し、夕方には、神前に神楽を奉納して結成式を行いました。熊本隊は、熊本の藩校であった時習館出身の学校党を中心に約1400名で構成されました。西南戦争は、日本最後の不平士族の反乱とされていますが、熊本隊に参加した士族たちも、武門のゆかりのある健軍神社にて挙兵することで、武士としての最後の意地を見せたかったのではないでしょうか。不平士族で構成する薩軍は、勇敢に戦いましたが、物資に勝る政府軍に圧倒され、敗北に至ります。健軍神社は、健軍・保田窪の戦いの戦場になり、社殿が焼失してしまいました。近年、台風で倒木したり、虫食いや落雷で傷んだ境内の木から、西南戦争で使用された銃弾が発見されており、健軍神社一帯が、激戦地であったことを裏付けるものになっています。

健軍神社の大楠

多くの人々が参拝する歴史ある健軍神社

熊本市東区健軍町の住宅街に囲まれるように立地する健軍神社は、自動車のお祓いや厄払い、還暦祝い、お宮参りなどで多くの人が訪れ、正月になると大勢の初詣客で賑わいます。境内には本殿の他に、六つの社があり、たくさんの神様が鎮座する力強い健軍神社。その他にも、国歌「君が代」に出ているさざれ石が祀られていたり、子宝に恵まれるというイチョウの木があったりと、数多くの良い縁起に触れることができます。近年ブームになっている御朱印も健軍神社のものは、勝運の神らしく非常に力強いタッチで書かれています。中国大陸との交流が盛んになり、日本に仏教が伝来したとされる頃に創建された健軍神社。当時の国際情勢で生まれた軍事的緊張から、大和朝廷を守るために創建された由緒ある神社です。みなさんも古来より数多くの人々の信仰を集め、熊本の発展とともに歩んできた健軍神社を訪れてみてはいかがでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました