熊本市街から約12km離れた自然の恵み豊かな金峰山麓にある雲巌禅寺、岩戸観音が安置され宮本武蔵が五輪書を書いた由緒ある霊場の霊巌洞

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五百羅漢

 

金峰山麓にある由緒ある霊場

熊本県熊本市西区にある雲巌禅寺は、水の都熊本を支える水資源の豊富な金峰山の麓にある曹洞宗のお寺です。金峰山はもともと火山で、雲巌禅寺周辺の地質は柔らかくて侵食されやすい凝灰岩で構成されています。そのため金峰山の岩盤は、長い年月をかけて侵食を受け、洞窟や奇岩ができました。雲巌禅寺の裏山にある霊厳洞は、南北朝時代の創建時よりも昔に、存在していたという天然の洞窟です。江戸時代初期に剣豪の宮本武蔵が霊巌洞に籠り、名著「五輪書」を書いた場所でもあります。宮本武蔵ゆかりの木刀や自画像が展示されている場所もあり、雲巌禅寺には多くの人々が訪れています。今回は金峰山の自然に触れながら、熊本の中心市街地からほどなく離れた由緒ある霊場の雲巌禅寺に迫っていきます。

 

雲巌禅寺の創建前から霊巌洞に安置されていた岩戸観音

雲巌禅寺は、南北朝時代に中国を支配していた当時の元から、日本に渡来した曹洞宗の僧東陵永與によって創建されました。本尊は秘仏「四面馬頭観世音像」で、世間では岩戸観音として広く親しまれています。岩戸観音の歴史は雲巌禅寺よりも古く、言い伝えによれば、中国から運ばれてきたとされています。海を渡っていた時に、岩戸観音を運んでいた船は転覆しましたが、観音像だけは板に乗って佛崎(現在の熊本市西区河内町)に流れ着いたそうです。流れ着いた観音様は霊巌洞に安置され、多くの人々から尊崇されました。平安時代中期の遊女で伝説的女流歌人であった桧垣も足繁く参拝したとの文献が残っています。

雲巌禅寺本堂

金峰山の凝灰岩が生み出した神秘的な霊場

繁茂する樹木に覆われ、洞窟や奇岩、岩肌にあるたくさんの石像が神秘的な霊場の雰囲気を出している雲巌禅寺。この寺の後背地にある金峰山は、雲巌禅寺に神秘性のある霊場を高めるための自然環境を与えた山でもあります。金峰山の火山活動によって形成された凝灰岩は柔らかい性質をもっており、雲巌禅寺の洞窟や奇岩は、長い年月を経て侵食されながら形成されていきました。また、江戸時代には、霊巌洞までの柔らかい岩山を削ってできた細道の西の岸壁に、五百羅漢像が造られました。

火山活動によって形成された金峰山

豊かな水資源に恵まれた金峰山

地盤のすきまが多い溶岩で形成されている金峰山は水資源が豊富で、上水道の100%を地下水で賄う熊本市の水源地の一角をなしています。環境省による平成の名水百選では「金峰山湧水群」として、20か所が指定されており、そのうちの1つ「上川床の湧水」の清水が雲巌禅寺境内にも湧き出ており、参拝者が口をゆすぎ、手を洗う水屋の水として使用されています。雲巌禅寺は、金峰山の自然の恵みを感じながら参拝できる神秘的な霊場です。

 

剣豪宮本武蔵が、約2年間籠った霊巌洞

戦国時代から江戸時代に生きた剣豪宮本武蔵は、肥後藩主細川忠利の招きで肥後に赴きます。肥後藩から軍事顧問という客分待遇を受けた宮本武蔵は、晩年の5年間を熊本で過ごします。細川忠利の命を受け「兵法35箇条」を献上しますが、命じた細川忠利は、武蔵が熊本に来てわずか1年で急逝しました。細川忠利の逝去で失意に陥った宮本武蔵は、書画や彫刻に没頭します。そして約2年間霊巌洞で、座禅などの仏道修行をしながら籠ります。現在に残る宮本武蔵の名著「五輪書」は霊巌洞で、籠っている時に執筆されました。

勝ち運を呼ぶ武蔵像

 

霊巌洞で書かれた名著「五輪書」

仏教で万物は、地・水・火・風・空から構成されるとしており、それにしたがってに五輪書ではこれら五つの巻にまとめられています。播州で有馬喜兵衛、京都の一乗寺下り松で吉岡一門、そして巌流島で佐々木小次郎と各地で数々の戦いに勝ち続けてきた宮本武蔵の集大成とも言える五輪書は、極限状態を生き抜いていた彼の哲学が流れており、現在でも色あせない真理があります。当時に行われていた決闘は、現代では許されない行為ですが、生きることを最大の眼目に置いた彼の姿勢は、現在でも通じるものがあります。「神佛は尊し、されど神佛を頼まず。」との文言を残した宮本武蔵が、この霊験あらたかな霊巌洞で、五輪書を書いたのかと思うと感慨深くなります。

五百羅漢像

岩壁にずらりと並ぶ五百羅漢像

江戸時代後期には熊本の商人である渕田屋儀平が1779年から1802年にかけての24年間、親子代々に引き継いで十六羅漢像と五百羅漢像を奉納しました。座る姿も表情も異なる石仏が岩壁にずらりと並んでおり、その中には、自分の身内に似た顔の羅漢像があるそうです。羅漢とは釈迦の直弟子で、修行の最高段階に達した人のことです。釈迦の入滅後、五百の羅漢が集まって結集を開いた聖者を現したのが五百羅漢像になります。長年の風雨や明治の廃仏毀釈、明治22年の金峰山地震などで多くの羅漢像の首が落ちてしまい、完全な羅漢像は半数ぐらいに減っているのですが、参拝者を出迎えるように座っている姿勢は、参拝に訪れる人々に安らぎを与えるような雰囲気を醸し出しています。

素晴らしい景観が心を動かされる雲巌禅寺

熊本市の中心部から県道を通って12km程度の距離にある雲巌禅寺は、金峰山の西麓にあり、周辺には奇岩と紅葉の美しい肥後耶馬渓、門前から有明海方面にはのどかな田園風景が広がっています。政争の現場として長い歴史を持つ熊本の地から程よく離れていて、自然の恵みが豊かな雲巌禅寺は、精神を研ぎ澄ませ、仏道修行をする場としてうってつけの場所だったのではないでしょうか。拝観入口付近には、宮本武蔵や平安時代の歌人桧垣にまつわる品々が展示されています。ゆかりの品々を見学すると、雲巌禅寺や霊巌洞の長い歴史を改めて確認することができます。霊験あらたかなこの地に、昔から人それぞれの思いをもって訪れたのでしょうが、雲巌禅寺に参拝した多くの人々が、金峰山麓が湛える自然の風景に心を動かされたことは間違いないようです。みなさんも雲巌禅寺を訪れてみて、心が動かされる体験をしてみてはいかがでしょうか。

 

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