阿蘇開拓の拠点となった手野の地に初代国造の速瓶玉命を祀る神社、手野のスギや御田祭り、鯰宮などの伝承を守り続け阿蘇黎明期の伝統が生き続ける国造神社

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健磐龍命
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熊本県内でも屈指の歴史を持つ国造神社

熊本県阿蘇市にある国造神社は、阿蘇神社の北にある神社で、北宮とも呼ばれています。阿蘇で勢力を誇った阿蘇氏の祖である速瓶玉命を主祭神としており、父の健磐龍命が祀られている阿蘇神社と関わりが深い神社でもあります。国造神社は、熊本県内でも屈指の歴史を持っており、近くには上御倉・下御倉古墳があります。また国造神社の由緒を語る杉として「手野の大杉」が境内に祀られています。「手野の大杉」は火災や台風で残念ながら枯れてしまいましたが、その一部が大切に守られています。毎年7月26日に行われる御田祭は、田園を神幸する国造神社の重要な祭りで、阿蘇谷の稲の育ち具合を見てまわる神事です。今回は、国造神社の由緒に触れながら、阿蘇の大自然に立地し、阿蘇の人々と歴史を歩んでいった国造神社を掘り下げていきます。

国造神社の参道

父の健磐龍命とともに阿蘇の地を開拓した国造神社の祭神「速瓶玉命」

国造神社の「国造」は、その地方を治める豪族の官職だったのではないかといわれています。古代の大和王権は、連合政権の性格が強く、阿蘇氏の祖は、大和王権との関わりを持ちながら領国経営をしていたのではないかと思われます。神武天皇は健磐龍命を九州に派遣し、阿蘇都媛命との間に生まれた子が速瓶玉命になります。父の健磐龍命とともに速瓶玉命は、阿蘇の地を開拓しました。さらに庶民に農耕や植林を指導した方とされ、阿蘇地域に発展をもたらしました。その功績が崇神天皇に認められ、初代の阿蘇国造に任命されたといわれています。

上御倉古墳の石室

古代にいち早く開拓された国造神社付近

国造神社に近接した土地にある上御倉・下御倉古墳は、阿蘇溶岩の大きな石材を使用した横穴式石室となっています。熊本県内にある横穴式石室を採用した古墳の中でも比較的規模が大きい上御倉・下御倉古墳は、壁面には丹彩のあとがみられます。当地の伝説によれば、上御倉古墳が速瓶玉命、下御倉古墳が速瓶玉命の妃である雨宮の墓とされています。日本書紀で見えてくるものは、「阿蘇君」が阿蘇を治める中で、国造神社のある手野に、本拠地を移したと考えられます。阿蘇外輪山の麓にある国造神社付近からは、阿蘇カルデラで出来た平野を見渡すことができます。国造神社の眼下に広がる平野は、古代の土地区画である「条里制」に基いて、いち早く開拓された場所です。このようなことから、国造神社付近に、阿蘇を支配した有力者の本拠地があったのではないかと推測できます。

一部を伐って祀られている手野のスギ

速瓶玉命がお手植えされたといわれる「手野のスギ」

国造神社の境内には、速瓶玉命のお手植えといわれる「手野のスギ」の一部が祀られています。男杉と女杉の二つの杉がそびえ立つ熊本県下でも最大級の巨木でしたが、江戸時代後期に雷火によって男杉が枯れ、平成3年の台風19号の被害によって枯れてしまいました。男杉の株痕横に、男杉の古株から生じたヒコバエを、1831年に植えたとされる杉があります。残った部分の男杉は伐採され、仁孝天皇に献上したところ、その木材の香りが高かったことから、仁孝天皇からお褒めの言葉をいただきたいと伝えられています。平成の台風で折れ残った女杉は、地上2.5mから7mを切断し、上屋をかけて平成14年に現在の姿となりました。切断された一部分だけですが、堂々とした貫禄の杉が訪れる人を圧倒します。

国造神社の社殿

熊本自身にも耐え抜いた国造神社の社殿
国造神社は、古来より朝廷からの崇敬が篤く、国司や武家からも篤く信仰されていました。江戸時代にこの地を領有した熊本藩主の細川氏は、阿蘇神社とともに国造神社を手厚く保護しました。現在の社殿は、1672年に熊本藩の3代藩主の細川綱利が造営したといわれており、平成28年の熊本地震にも耐えた貴重な文化財です。本殿には速瓶玉命のほかに、妃の雨宮媛命、第2子の高橋神、第3子の火宮神が祀られています。妻入りの拝殿の鬼瓦には、神紋・違い鷹の羽があしらわれており、懸魚の彫刻はなかなか味わい深いものがあります。熊本県の有形文化財にも指定された社殿は、力強い高欄、華やかな彫刻が入りまじっていてとても見応えがあります。

盛夏の田園を神幸する「御田祭り」

約2千年の歴史があるといわれる国造神社は、「春祭り・鯰宮例祭」「眠り流し」「田実祭」などの祭事を年間を通して行われます。その年間祭事の一つである「御田祭り」は夏に青々となった水田を神幸して五穀豊穣を願います。国造神社と阿蘇神社で行われている「御田祭り」は、阿蘇大明神が阿蘇開拓と農耕の道をおひろめになった御徳を称える祭事でもあり、江戸時代の熊本藩の治世では、細川氏の名代が参向する唯一の祭りとして、その重要度が高まっていきました。神幸ではお供として、神々の昼飯持ちである白衣の宇奈利、御輿が古式ゆかしく移動します。阿蘇の大自然に抱かれた緑豊かな盛夏の田園に、ゆったりと進む神楽絵巻は、時代の証人になったような感動を覚えます。

阿蘇の黎明期の伝説が生き続ける国造神社

国造神社の境内には、大鯰の霊を祀る鯰宮があります。鯰研究をされている秋篠宮殿下も参拝されたことのあるこの鯰宮には、鯰伝説という阿蘇の開拓にまつわる言い伝えがあります。大昔の阿蘇はカルデラ湖で、農地を作るためには湖の水を抜く必要がありました。健磐龍命は、立野火口瀬を蹴破って水を抜こうとしましたが、湖の主である巨大な鯰が水を堰き止めてしまい、農地にするには不完全でした。そこで健磐龍命が大鯰を説得し、鯰は去っていったそうです。こうして阿蘇では、鯰を祀るようになったそうです。「鯰が暴れると地震が起きる」と言われたりしますが、国造神社では鯰の霊を鎮めているから、被害がほとんどなかったのでさないかといわれています。阿蘇の外輪山の麓で大自然の恵みを受けながら、阿蘇の人々と歴史を歩んできた国造神社。阿蘇の黎明期にまつわる伝説は、この神社に生き続けています。皆さんも国造神社を訪れてみて、この雄大なスケールを感じ取ってみてはいかがでしょうか。

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