鎌倉時代に存在していた寺を再興した蓮華院誕生寺
熊本県玉名市にある蓮華院誕生寺は、戦国時代の戦災で廃寺になった蓮華院浄光寺跡を、昭和4年に川原是信大僧正が再興した真言律宗の寺です。昭和53年には蓮華院誕生寺から4kmほど離れた山中に広大な敷地を持つ奥之院が建立され、多くの参拝者が訪れるようになりました。そして平成23年には、鎌倉時代に存在していたという南大門が再建されます。戦国時代に途絶えてしまったお寺の由緒を引き継いで、昭和に再興した蓮華院誕生寺に触れ、その歴史とお寺の魅力について迫っていきます。
皇円上人の誕生の地に創建された蓮華院浄光寺
「肥後国誌」によると1175年、平清盛の子である平重盛が、皇円上人の誕生の地である現在の玉名市築地の地に「蓮華院浄光寺」を建立しました。皇円上人は、比叡山の修行で密教と一般仏教の奥義を極めました。そして浄土宗の開祖である法然上人をはじめ、多くの弟子を導いた人物です。神通力にも優れていたとも言われている皇円上人は、江戸時代の「天狗番付」に「肥後阿闍梨」として記されています。また皇円上人は、日本最初の仏教精神に基づいた歴史書「扶桑略記」の編さんもしており、日本の歴史・伝説を系統立てて一つにまとめるという大変な仕事を成し遂げました。
かつて広大な伽羅があり、戦国時代の戦禍で焼け落ちた蓮華院浄光寺
仏教やその他の分野に多大な功績を残し、マルチプレーヤーとして活躍した皇円上人。そんな皇円上人の誕生の地に創建された蓮華院浄光寺は、真言律宗の別格本山であり、九州における筆頭寺院として存在していました。「肥後国誌」では広大な伽羅があったと記されており、「蓮華院浄光寺の南大門を開閉する音は吉次山(現在の金峰山)に響きし」と伝えているほど広大だったようです。浄光寺蓮華院は、皇円上人の母方にあたる豪族の大野氏の庇護をうけながら、鎌倉時代から約300年続きました。しかし戦国時代になると、大野氏が佐賀の龍造寺氏の支援を受けた小岱氏によって滅ぼされます。戦災で境内が焼け落ち、大野氏の庇護を受けられなくなった浄光寺蓮華院は、廃寺となりました。
皇円上人から霊告を受けた川原是信
鎌倉時代に創建され、戦国時代に焼失した蓮華院浄光寺は、江戸、明治、大正と約350年を経る間に広大さを誇った伽藍は朽ち果て山野となり、築地、南大門の地名や2基の五輪の塔などわずかを残すのみでした。昭和4年12月に熊本県荒尾市在住の祈祷師であった川原是信大僧正は、蓮華院跡で経を唱えていた際、皇円上人が現れ「我は今より760年前、遠州(今の静岡県)桜ヶ池で菩薩行の為、龍神入定せし皇円なり。今心願成就せるを以て汝にその功徳を授く。よって今より蓮華院を再興し衆生済度にあたれ」という霊告をうけました。
川原是信、昭和の世に蓮華院を再興す
皇円上人から霊告をうけた川原是伸は蓮華院浄光寺の跡地に蓮華院誕生寺として再興しました。本尊は皇円大菩薩で、昭和40年に建てられた本殿、平成時代に造られた多宝塔や五重塔、そして南大門が寺の参拝に来た人々の目を引き付けます。そして昭和53年には、蓮華院誕生寺の本院より約4km離れた小岱山の広大な敷地に大規模な伽羅を配置した奥之院が完成し、往時の浄光寺蓮華院を彷彿させるようなお寺になりました。檀家がなく、信者や一般の人のために祈祷する祈祷寺の蓮華院誕生寺。現在では、数多くの観光客が訪れる「一願成就」「厄払い」の寺として、年間30万人もの人々が参拝しています。
平成の世に、再興された南大門
蓮華院誕生寺の南大門は、鎌倉時代の蓮華院浄光寺にあった南大門を、文献をもとに平成23年に再建したものです。高さ15m、横幅20m、奥行き10mにも達する巨大な門は、白蟻と湿気に強い青森ヒバによる総木造で、木と木を組み込む日本の伝統的な技法を用いています。また、釘には古代の製鉄技術「たたら製鉄」により製作する和釘を使用しています。また、門の四方には京都の今村九十九仏師が造った四天王像が置かれ、南大門落慶法要の時に開眼入魂されました。四体とも備州ひのきで造られ、高さ4mあり、眼は水晶で造られた玉眼です。現在、国宝や重要文化財に指定されている四天王像と比較しても遜色ない出来ではないかと思われます。
世界一の規模の大梵鐘と五重塔
蓮華院誕生寺奥之院にある大梵鐘は、高さ4.55m、直径2.88m、重さ37.5tある世界一の大きさを誇る鐘です。「飛龍の鐘」と名付けられたこの鐘は、抜苦与楽(苦を抜き、楽を与える)、離合得脱(業を離れ、解脱を得せしめる)といわれ、多くの修行僧が撞きます。心を込めて撞いた鐘の音は有明海を挟んで対岸の島原まで聞こえます。また、蓮華院誕生寺奥之院にある五重塔は、高さ51.5mある巨大な塔で、これも世界一の規模を誇ります。各階で写経や座禅などの仏道修行が出来るようになっています。
皇円上人の本願が今も息づく蓮華院誕生寺
皇円上人は96歳の生涯を閉じられると、末法の世を苦しむ衆生を救済するため、龍神になったといわれています。人としての寿命が尽きた後も衆生済度の本願を叶えた皇円上人を、蓮華院誕生寺では、皇円大菩薩として本尊にしています。戦国の乱世で、蓮華院浄光寺は廃寺となりましたが、昭和、平成の世を経て蓮華院誕生寺として再興を果たし、皇円上人の本願成就への道を取り戻しつつあります。皇円上人ゆかりの由緒を引き継ぎながら、昭和という比較的新しい時代に創建された蓮華院誕生寺。皆さんも蓮華院誕生寺を訪れてみて、新しいお寺に継承された皇円上人の衆生救済という願いを、感じ取ってみてはいかがでしょうか。
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