長崎で具現化した中国の伝統美、儒教を通して日中友好の歴史を積み重ねていった長崎孔子廟

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中国文化

中国人が建造した長崎孔子廟

長崎県長崎市にある長崎孔子廟は、明治26年に当時の清朝政府と華僑によって建造され、現在でも中華人民共和国が運営している公的な文化施設です。長崎孔子廟は、日本国内で中国人が建造した唯一の孔子廟として知られており、幾度かの改修を経て、中国建築様式の伝統美を今に伝えています。長崎孔子廟は、よく「パスポートなしで入れる中国」という表現が使われますが、まさにその通りで、極彩色に彩られた豪華絢爛な空間が訪れた人を魅了します。今回は長崎孔子廟に触れ、その歴史と魅力について迫っていきます。

かつての時中小学校跡にある池

多くの長崎育ちの中国人を育てた「長崎華僑時中小学校」

長崎での孔子廟のはじまりは、江戸時代初期の本草学者である向井元升が後進の教育のために私塾の孔子廟を建てたことが始まりだとされています。しかし明治時代になると私塾が廃止されたために、中国人の手によって建設したのが、現在の「長崎孔子廟」になります。明治時代後期には中国と日本の人的・物的交流が拡大し、長崎在留の中国人も増加していきました。そして明治38年に増加する中国人子弟を教育するために「長崎華僑時中小学校」が長崎孔子廟に設立されます。中国語と長崎の人々との交流によって得られた長崎弁を話す長崎育ちの中国人を多く輩出し、日中交流の大きな礎となりました。昭和41年に学校は別の場所に移転し、現在の学校の跡地には、儀門と池、表の塀などが設けられています。

観光名所となった長崎孔子廟

明治26年に完成して以来、中国人によって現在まで守り続けられてきた長崎孔子廟。日中戦争による華僑の活動の停滞や、長崎への原爆投下による被害という難局を乗り越えて、孔子の教えである儒教を今に伝えています。敷地内の学校を移転した長崎孔子廟は、昭和42年に一般公開を始め、高度経済成長期の拡大した観光需要に呼応するように観光地化へかじを取ります。その後七十二賢人石像や、貴重な文化財を展示した中国歴代博物館などが新設され、現在では長崎を代表する観光名所となっています。

儀門

中国の伝統美に富んだ儀門

長崎孔子廟の正門である儀門は、皇帝しか許されない黄色の瑠璃瓦を使用している荘厳な門です。長崎孔子廟の儀門は中国の華北と華南地方の建築方式を、合体させた伝統美に富んだ鮮やかな建築物です。昭和初期の台風によって壊れていましたが、昭和42年の一般公開に合わせて修繕され、往時の様子を今に伝えます。3ヵ所の出入り口がある儀門の中央は、神様と皇帝の通り道とされ、特別な日以外は閉じられています。

七十二賢人の石像

一体一体違う表情の七十二賢人の石像

儀門を通り抜けると七十二賢人石像が並んでいます。中華人民共和国や山東省曲阜の孔子本廟からの協力を得て作られた七十二賢人石像は、一体1.8tの重さがあります。この重い石像は、中国で製作され長崎まで運ばれました。孔子の弟子である七十二賢人の石像は、一体一体同じ顔がなく、表情が千差万別なので、見応えがあります。

日本最大の孔子坐像を安置する大成殿

釈迦、ソクラテス、キリストとともに世界の四大聖人の一人である孔子。大成殿は、明治26年の長崎孔子廟の完成の頃から現存している最も古い建物です。大成殿は、雨や嵐、原爆の爆風による被害を受けながらも修復を繰り返し、その威容を現代に伝えています。大成殿の前には北京紫禁城を模して一対の龍を彫った御道石が置かれています。この御道石も儀門の中央の出入り口と同様に神様と皇帝だけが通る道で、清朝皇帝は神輿に乗って進んだといわれています。御道石の先、大成殿には日本国内では最大孔子座像が安置されていまして、山東省曲阜の孔子本廟で御霊入れされたものです。

大成殿から見た儀門

学問の神様として崇められている長崎孔子廟

御道石上部の石碑は大学全文といいまして、学問する人の目的、心得など、学問を志すものに適切な言葉が順序立てて記されています。礼や忠孝を重んじた儒教は日本国内でも、時の為政者や立身出世を目指す人々には大変重んじられ、孔子の教えがまとめられた「論語」は多くの日本人にも読まれています。そんな孔子は、学問の神様としても崇められており、多くの受験生が合格祈願に訪れています。線香かロウソクのどちらかを大成殿で購入し参拝すると希望者には、中国の孔子本廟から取り寄せた貴重な合格祈願のお札が授かれるそうです。

中国歴代博物館の入り口

国宝級の文物を展示する中国歴代博物館

孔子が祀られている大成殿の奥につづいているのが、中国歴代博物館です。日中友好と文化交流の促進を目指して1983年に建てられた中国歴代博物館は、北京故宮博物院をはじめとする中国国内の博物館が所蔵する国宝級の文物を展示している博物館です。展示物は2〜3年ごとに入れ替えており、これほどの中国の文化財が中国や台湾の国外で見られるのは、長崎孔子廟の中国歴代博物館だけです。また中国歴代博物館の上のフロアにある長崎孔子廟資料館は、長崎孔子廟が所有する数々の文物を多数展示しており、長崎孔子廟とあわせて訪れたい場所です。

長崎の中国文化を担う長崎孔子廟

長崎港を望む高台に幕末から明治初期に建てられた洋風住宅の東山手洋風住宅群を見ながら西洋の雰囲気たっぷりの坂道を下るとそこには中国の伝統美満載の長崎孔子廟があります。長崎は、和、洋、中華がごっちゃになったわからん(和・華・蘭)文化といわれますが、東山手の外国人居留地跡にある長崎孔子廟の一帯はまさにそれを象徴するかのような光景が広がっています。また毎年9月の土曜には孔子祭が行われ、この時には儀門の中央の出入口が開けられ、孔子の御霊を慰めます。当時の清朝政府と華僑によって建てられた長崎孔子廟は、長崎において大きなウェイトを占める中国文化を担う重要な文化施設であるとともに、日中友好に大きく貢献してきた歴史を持つ施設でもあります。皆さんも長崎孔子廟を訪れてみて、中国文化の魅力に触れてみてはいかがでしょうか。

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