源為朝が伊弉諾命と伊弉再命を祀った伝承から始まる神秘性あふれる神社、伊万里焼の郷・大川内山の氏神として自然と調和しながら発展していった権現岳神社

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伊万里市

山の自然と調和し、圧倒される光景が展開する権現岳神社

佐賀県伊万里市にある権現岳神社は、伊万里焼の窯元が立ち並ぶ大川内山の氏神にあたる神社です。権現岳神社は、山の自然と調和した秘境感が漂う神社で、400段もある石段を登ったところにあります。急勾配で延々と続く石段、たくさんの鳥居、鎮座する多くの神々、岩穴にある社殿など目に写るものに迫力があり、圧倒される光景が展開します。大川内山の陶芸の郷から徒歩で約45分のところにありますので、体力のある方は窯元見学も兼ねて、権現岳神社を訪れてみるのも良いのではないでしょうか。今回は伊万里焼よりも長い神社の歴史に触れながら、自然と調和した素晴らしい文化を感じ取ることができる権現岳神社について迫っていきます。

岩を削った中にある権現岳神社の神殿

神話にある神秘性を再現した権現岳神社

権現岳神社は、平安時代末期の武将である源為朝が伊弉諾命と伊弉再命を祀ったのが始まりとされています。源為朝は、鎌倉幕府を開いた源頼朝や源平合戦で活躍した源義経の叔父にあたる人物で、剛勇無双と呼ばれた気性の荒い武将でした。乱暴者であった為朝は、父の為義により九州に追放されましたが、手下を集めて戦を行い、領地を拡大していきました。そして九州一帯を支配下に置き、鎮西八郎為朝と名乗ります。そんな大きな武功を挙げた源為朝が現在の権現岳神社の地に、国造りの神である伊弉諾命と伊弉再命を祀ったという言い伝えがあるのはなぜなのでしょうか。これといった確証はありませんが、岩や洞穴をはじめとする神秘的な雰囲気が広がる空間に、神話の世界を表現するモニュメント的な位置付けの神社を創建したのではないかと筆者は考えます。

樹齢約300年の杉の巨木

陶芸の郷・大川内山の氏神として発展する権現岳神社

江戸時代になると大川内山は、佐賀鍋島藩の御用窯がある産地として発展していきました。将軍家や諸大名に献上する最高級の磁器をつくるいわば、鍋島藩肝いりの窯でしたので、技術流出を防ぐために関所を設けるなど、人の出入りを厳しく制限するほどでした。そんな秘密保持が徹底された陶芸の郷、大川内山の氏神として権現岳神社は社殿が建築されていきます。江戸時代に現在のような形に整備された権現岳神社は、大川内地域と鍋島藩との関わりや、鍋島藩窯の歴史を知る手がかりになる大変貴重な史跡となっています。

副島勇七の供養塔

副島勇七の供養塔

大川内山の窯元が立ち並ぶ藩窯坂を過ぎ、山里の集落の道を程なく進むと、権現岳神社の一の鳥居に出合います。鳥居をくぐると、歴史を感じる趣のある風景が続き、社殿までの長い階段の参道が始まります。一の鳥居から少し進むと、「副島勇七」の供養塔が見えてきます。副島勇七は、伊万里焼の名陶工、そして優れた指導者として大川内山の陶工たちを育てた功労者でしたが、藩の役人と折り合いが悪くなり、大川内山から逃亡しました。副島勇七は、逃亡先の四国の愛媛で捕縛され、佐賀の嘉瀬にあった刑場で斬首されます。副島勇七から教えを受けた大川内の人々は、供養のために碑をたて、その功績を偲びました。佐賀藩の御用窯であるがゆえに、藩の役人と大川内山の陶工たちの軋轢は、かなり大きなものがあったのかもしれません。大川内の人々が副島勇七に同情する気持ちが感じられる供養塔です。

四の鳥居の近くにある水汲み場

「のど権現」とも呼ばれている権現岳神社

参道入口の近くにある二の鳥居と副島勇七の供養塔を過ぎると棚田のようなどこかなつかしい風景を見ながら階段を登ると自然とうまく調和した景観の三の鳥居が見えます。三の鳥居を過ぎると四の鳥居があります。この四の鳥居から木々が林立する急勾配の石段が続いており、権現岳神社の醍醐味を感じる参道となります。権現岳神社は通称「のど権現」と呼ばれているほどご利益があり、四の鳥居の近くには、のど地蔵があります。また、四の鳥居の横には水汲み場があり、毎日多くの人々が水汲みに訪れています。

岩をくり貫いた中にある拝殿

自然と調和した神々しい景観が展開する権現岳神社

急勾配が連続する四の鳥居から社殿までの参道は、周囲は立派な樹木で構成する森林地帯であり、新鮮な空気を腹一杯吸うことができます。森林の植物たちは季節によっていろいろな自然の情景を見せ、訪れる人の心を和ませます。そして樹齢約300年の杉の大木まで到達すると、権現岳神社の参道の行程は、いよいよ佳境に入ります。杉の大木から社殿までの最後の石段を登りきると、洞窟と社殿の神秘的な景観が目に入り、圧倒されます。権現岳神社の洞窟は、自然に出来たように見えますが、人の手によって手間暇かけて、神殿や拝殿の大きさに合わせるように、拡張がはかられました。拝殿は、東側寄棟造、西側入母屋造と凝った建築で、神殿は、千鳥破風付柿葺一間社流造です。このような社殿は、伊万里市内に現存する江戸時代の社殿建築のなかでも工夫を凝らした匠の技が光る建築物です。またくり貫かれた大きな岩が社殿とうまく調和し、権現岳神社ならではの神々しい景観が展開しています。

 

昔の人々が残した優しさを感じる権現岳神社

権現とは仏様が神道の神の形をとって現れたことを指す言葉で、神仏習合の歴史がある日本独特の形式であり、権現岳神社には、たくさんの神仏がいらっしゃいます。獅子や龍などのこまやかな彫刻が施された権現岳神社の社殿の向こう側には、素朴な摩崖仏があり、その先からは、伊万里湾まで見渡すことができます。古来より山伏の修験場となっていた権現岳神社の岩肌には数多くの野仏様があり、訪れる人を優しく迎えてくれます。断崖絶壁の岩をくり貫いた社殿のある権現岳神社には、秘境感と大きな岩がみせる迫力がありますけど、境内をゆっくり歩いてみると、昔の人々が抱いていた大らかな心も見える神社でもあります。権現岳神社にもう一度行ってみたいと思うのは、神社にある優しさに触れてみたいという気持ちからくるのかもしれません。皆さんも権現岳神社を訪れてみて、その素晴らしさを発見してみてはいかがでしょうか。

懐かしさを感じる風景に立つ三の鳥居

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